Episode.4
職業柄、銃兎は様々な業界に顔を出している。よって、今回のパーティー出席者の中ではその存在がより目立ってしまっていた。
役に立つ時ももちろんある。が、こういう場面では少々面倒だ。男女の出会いを理由にやってきた女性達に目をつけられ、会場に入ってまもなく、銃兎の周りは数人の女に包囲されてしまう。テリトリーバトルすごかったです――という、敗北した身からすれば反応に困る言葉をにこやかに流しながら、銃兎の神経はインカムから聞こえる音声に注がれていた。
ホシを張っている仲間によれば、今のところ特に動きはないようだ。しかし、その中で気になる情報が一つ流れてくる。知人を待たせているので少し席を外す、と銃兎は彼女らに営業スマイルをサービスして、そそくさとその場を離れた。
銃兎が周りを見渡せば、彼女は会場の壁にもたれかかって一人ぽつんと立っている。じっとこちらを凝視しているかと思えば、ぷいっと明らかに目を逸らされた。なんなんだあいつは。
「……何を不貞腐れているんですか」
「べっつにー」
近寄って話しかければ、可愛くない反応が返ってくる。ネイビーのパーティードレスを纏ったはじっとりと銃兎を見上げたと思えば、またふいっと顔を逸し、手持ちのカクテルグラスを仰いでごくんと一気に飲み干す。まだ始まって一時間も経っていないというのに、の頬は若干赤みがかっていた。
突入前は普段通りの態度だったので、昨日のことを気にしているわけではないと思われる。お互いにそれは分別していると分かった上で、こうして銃兎もにそれ以外の理由がある前提で尋ねているのだが。
「弱いくせにそんな一気に飲むんじゃありません。ほら、グラス貸しなさい」
「あ~」
お酒飲めるは飲めるんですけど、そんなに強くないし、父親のこともあってあんまり好きじゃないんですよねえ、と言っていたのはどこのどいつだったか。取り上げたグラスには口を尖らせて、また顔をぷいっと背ける。なぜそんなに不機嫌なのか。反応からするに、こちらに原因があるのは明らかだった。
しかし、見覚えのないことでそんな態度を取られて銃兎も気分がいいわけではない。理由は後でたっぷり聞くとして、今は任務に集中しろと窘めようとした時だった。
すみませーん、と背中から声をかけられる。銃兎が振り向くと、一人の女性がにこにこと笑んで立っていた。そして、お話しませんか、と言わんばかりに首を傾げられる。見て分かんねえのか今お前構ってる暇ねえんだよ、と思いつつも、どんなことが任務に支障をきたすか分からない。渋々、銃兎は頭のスイッチを切り替えて、女性の対応を始めた。
「ちょっと失礼しますよ~」
不意に、先ほどまで不機嫌だったが銃兎と女との間に割り込んでくる。は怪訝そうな顔をした女の耳元に唇を寄せて、二言ほどこそこそと話したかと思えば、ぎょっとした顔で銃兎を見て、その場からそそくさと逃げていった。
……追い払ってくれたのか。それにしても女の反応が気になる。銃兎はをちらりと見下ろすと、彼女はすました顔で前だけを見つめていた。
「……今、彼女に何を言ったんです」
「特に何もー」
「何もということはないでしょう。明らかに態度が変わりましたよ」
「入間さん、さっきの人と話したかったんですか?」
「いえ別に」
「ならいいじゃないですかあ」
「そんなことよりもー」とは無理矢理話を切り替えた。
「さっき、ホシと接触しましたよ~」
「ああ、先程無線で報告を受けて詳細を聞こうと思っていたんです。どうでしたか」
「黒寄りの黒です~。会話の内容はこのボイスレコーダーに。聞いたら分かりますけど、十分証拠になりえるものですよー。さっそくルームキーまでもらっちゃいましたし。あ、フロントで予備のものもらってきたので、念のために渡しておきますね~」
用意周到なことだ、と銃兎はから受け取ったボイスレコーダーとカードキーを仕舞った。
わたしが囮になるので、あとはお任せします~――朝の会議でがそう提案した時、銃兎は反対だった。しかし、ただでさえホシに警戒されている中で男が接触しても捜査は難航するだけ。の案が一番効率的だったのを銃兎は認めざるを得なかった。必然的にリスクはが一番被ってしまうが、提案者でもある彼女は難なくそれを引き受けた。
なぜ、自分の身の安全を守らないのか。ホテルの一室で男女が二人きり……しかも、相手は性欲と薬物を持て余した男だというのに。任務だから仕方がないのか。しかし、銃兎はどんな手段を使っても薬物をこの世界からなくすと決断をした。たとえ、部下の一人に多大なるリスクがかかろうとも。なので、自分も本作戦でゴーサインを出したわけだが、いやそれでも――
……またしても、銃兎の中で消化しきれない矛盾が生まれる。始まったものは仕方がない。吐き出しそうになる言葉を無理矢理腹の中に収めて、平常心を保とうと深く息を吐いた。
「……何度も言いますが、私からの指示があるまで過度は接触は避けること。いいですね」
「了解です~。……あ、今出てきたグラタン、限定三十食みたいですよー。入間さんもいります?」
もっと緊張感を持ってほしいところだ。銃兎が諦めたように首を横に振ると、「じゃあいってきますね~」と、は出来たばかりの群がりに飛び込んでいった。
ここぞとばかりにバイキングを楽しむの背中を、銃兎はぼんやりと見つめる。食べられる時に食べておく、なんて野良猫じゃあるまいし。しかし、あの家庭環境で育ったなら仕方がないのかとも思う。だから俺が作ってやるって言ったのにあいつはいつまで経っても――
銃兎が舌打ちをしそうになった時、また二、三人の女性が銃兎に話しかけてきた。がいないとすぐにこれだ。しかし、一人でいるよりもその方が周りから怪しまれないのでせいぜいカモフラージュになってもらう。他の仲間はホシと取引すると思われる人物達についてもらっているし、顔が広くなってしまった銃兎はもっぱらの補佐という配置になっていた。
――どれだけそうしていただろう。いつまで経ってもが戻ってこないので、今回の作戦と無関係な女の相手をしていることにも苛立ちを覚えてきた頃。無線から入ってきた仲間の声に、銃兎は目を見開いた。
《銃兎さん、ホシと亀崎がホテルの室内に――》
女性達の制止の声など聞かず、銃兎は血相抱えてパーティー会場を後にする。脇目も振らず走って、エレベーターに乗り込むと、ルームキーの上二桁の階数をすぐさま押した。なぜだ。なんで、お前はいつもそうやって――まだろくに走ってもいないのに、銃兎は全身から噴き出す冷や汗が止まらなかった。
ゆっくりと上がるエレベーターに憤慨しつつ、目的の部屋の前に着いた銃兎はからもらったルームキーでロックを解除する。慎重さの欠片もなく性急にドアを開けると、散らばったダンボールがヨコハマの夜景に薄明かりながらぼんやりと浮かび上がっていた。
――「あーあ。バレちゃいましたかあ」
夢と、重なる。ベッドの前にはの背中。振り向いた彼女が、そんなことを口にしそうで、銃兎はそこから一歩も動けなかった。
振り返って最初に見えたのは、の目。揺らめく瞳がゆるりと細められる。こんな状況でも、彼女は陽気に笑っていた。
「あ、銃兎さん。ちょうどいいところに~」
片手に握っているスタンガンを左右に振る。彼女の背中で見えなかったホシは、ベッドの上でだらりと臥していた。
そして、すぐさま部屋に駆けつけた同僚達は容疑者の確保とブツの押収に務めた。声をかけられるまで、銃兎はその場から動くどころか声すら発することができなかった。
今あることが夢なのか、夢で見たことが現実なのか。今あることが現実なら、なぜ、は気がついた時には手の届かないところまで歩いていっているのか。あなたに従いますという顔で隣を歩くくせに、その仮面は銃兎の前では決して剥がさない。
再び、との均衡が崩れ落ちる音を聞く。銃兎は自分が信頼しているはずだった彼女が、未だに下手くそなピエロを演じていることをこの身をもって知った。
他の部署に引継ぎを終え、署に戻た銃兎は小一時間ほど喫煙ルームで一人煙草を吹かしていた。
苛立ちが収まらない。何に対してなのか、誰に対してなのか、言葉にならない靄が銃兎の胸を占めている。すっきりしたい一心で思考を整理するも、煙草の煙でそれが余計にぼやけてしまって足踏みばかりを繰り返していた。
ついに丸々一ダースを使い切ってしまって、銃兎は諦めて喫煙ルームを後にする。追加の煙草を自販機で買う気にも慣れず、誰もいないことを願いながら、最小限の電灯で照らされている冷たい廊下を歩いていった。
「あ、お疲れさまです~」
詰所のドアを開ければ、自身のデスクにもたれかかっている。いつも書類が散らばっているそこには、珍しく何も置かれておらず、まっさらに綺麗だった。久々に彼女のデスクの顔を見た気がする。となると、仕事ではなく、はただ銃兎を待っていたということだろう。
頭も心もぐちゃぐちゃにかき乱されているというのに、当の本人は何も知らないという顔をしているので、銃兎の苛立ちが増す。「私に、何か用でも」と言った声も、自分で驚くくらい温度がないものだった。
「銃兎さんにちょっと渡したい物があったんですよ~」
「あ、そういえばこれ、先輩たちにもらったんですー」と床に置いてあった紙袋を得意げにぶら下げて、その上からはお菓子の箱と袋が覗いている。よくもまあ、俺がいない間にぬけぬけと。お前もまんまとこんな分かりやすい餌付けされやがって。要は、褒められれば誰だっていいのか。
いつもなら流せる。のに、余裕がないせいか普段と全く違うことを銃兎は思ってしまう。自分ではない誰かからの貰い物を素直に受け取る――見たくない。聞きたくもない。銃兎はの声を振り切るように口を開いた。
「過度な接触は避けろと言ったはずですよ」
「緊急だったんです~。あそこでホシの誘いに乗らなかったら、きっと撤収してましたよ」
「無線使うなりなんなりすればよかったでしょう」
「無茶言わないでくださいよー。肩組まれて一切隙がなかったんですから」
そんな報告は受けていない。ベッドになだれ込みそうになったところでスタンガンで眠らせたとしか。
また……こいつは俺に隠し事を。事の大小関わらず、に知らないことがあるだけで、徐々に銃兎の呼吸が深いものになっていく。
「でも、ホシは覚醒剤輸入罪で現行犯逮捕。関係者は送検後、ブツもすべて押収。成功以外の何ものでもないです~」
そうだ。たしかに、そうなのだ。しかし、銃兎の中で引っかかっているのは、その件ではない別の何かで。
飄々としている相手に、これ以上理性的に話ができる自信がなかった。とりあえず用件だけ済まさせてさっさと帰ろうとした時。不意にが差し出したのは一つの茶封筒。中身を取り出すと、A4の紙に外部業務申請書と記してあった。
「……なんですかこれは」
「中王区の研修に行ってくるので、その申請書ですよ~」
……なけなしの理性の糸がふつりと切れる。銃兎では乗ることのできない列車の、片道切符。目の前がかっと赤くなって、銃兎はその紙を片手でぐしゃりと握りつぶした。
「……お前、行かないっつったろ」
喉が唸る。地面を這うような低いトーンでの体を締め上げる。銃兎のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、彼女も作り笑いをさっと引っ込めた。
「……気が変わったんですよ。ここ最近出回ってる薬物も中王区と絡んでいるみたいなので、ちょっと偵察の意味も込めて行ってこようかなって」
「何も聞いてねえ」
「今言いましたからねえ」
ああいえばこういうに声を荒らげそうになるのを必死に堪える。それをいいことに、はなお言葉を続けた。
「根源を引っこ抜けば、枝分かれたヤクが芋づるなわけですよ。それくらい、銃兎さんだって分かるでしょう」
それとも、それ以外でわたしに行ってほしくない理由でも?
本気で、言っているのか。気まずく視線を泳がせるくせに、口だけは達者に銃兎を試している。
そうか、お前は……最後まで知らぬ存ぜぬを貫くんだな。理性など忘れたまま、銃兎は今まで腹の奥に溜めていた感情をそのままさらけ出した。
「……理由を言ったら、お前は行かないのか」
の座るデスクの縁に手をかける。真っ正面から対峙した後、の顔からついに余裕が失せた。目を大きく見開いて、頬が緊張気味にぐっと固くなる。稀に見る、彼女の内側。それでもが顔を背けようとするので、銃兎は無理矢理顎を引っ掴んで上を向かせた。
ああ……とても良い眺めだ。いつもよく動く唇も今は固く結ばれている。相手を見透かすその目は、合わせまいとそっぽすら向いていた。
「俺が行くなっつったら……お前はそうするのか」
それなら、やぶさかではない。自分の過去のせいでどんなことがあってもが信用ならないこと、がいないと滞る業務があること、不定期でと食べに行くラーメンが美味しいこと、自分の想定内の場所にがいないとひどく落ち着かないこと、そして……誰よりも一番に自分を頼ってほしいこと。上司と部下の垣根を越えようが、それらを今ここで言ってもいい。それで、が今後自分から離れないのならば、この先どんないびつな関係になっても、銃兎はなんだってよかった。
しかし、は言わせない、と言わんばかりに性急に言葉をつらつらと並べる。そんな早口で喋るということは、自ら逃げ場がないと言っているようなものなのに。
「まあ、大方仕事が片付かないとかそういうことですよねー。大丈夫ですよ。たかだが五日間いなくなるだけですし。そのあいだ、誰か助っ人引き抜けばよくないですか? 銃兎さんはわたしのこと高く評価してくれてますけど、正直、能力は違えどわたしの穴を埋める人なんてどこにでもいると思うんですよねえ」
なぜ分からない。なぜ伝わらない。鈍いふりをするも、皆まで言えない自分も、今はすべてが腹立たしい。
不意に、ふふ、とひとり笑った。なにがおかしい、と絶対零度の視線を向ければ、彼女は銃兎を嘲笑うかのように目を細めた。
「だって、このあいだまでわたしを見るたび心底気に食わないって顔してたのに、人が変わったみたいに急に優しくなっちゃって」
「そんなつもりは――」
「同情ですか? 憐憫ですか? どちらにしろ困るんですねえ。銃兎さんがわたしのことどうしたいのかは知りませんけど、公私はちゃんと弁えてもらわないと」
「ああそれとも、」と挑発に挑発を重ねたは、銃兎のネクタイに指を絡め、銃兎の顔をすっも覗き込んだ。
「銃兎さんこそ、ヤクでもやってるんじゃないですか?」
――せり上がった衝動が、喉の奥を焼いた。
黙らせたかった……いや違う、思い通りにならないに、純粋に怒りを覚えた。
は何もない床に顔を向けたまま動かない。銃兎の耳が乾いた音を聞き、手袋越しに伝わる熱を自覚して、ようやく頭から冷水を被った。銃兎が……銃兎の手が叩いたのは紛れもなく、の頬。我に返った銃兎は、目の前に突きつけられた現実に息が止まった。
そして、勢いよく顔を上げたに銃兎の肩が震える。赤くなった右頬などお構いなしに、彼女はにんまりと笑っていた。
「よかったですー。いつもの銃兎さんで」
「亀崎――」
「とりあえず、申請は受理しておいてくださいね~。あ、引継も先輩方に終わってるので安心してくださいー」
「亀崎ッ!」
不気味なくらい異様な態度に、銃兎は思わず叫んだ。銃兎を押しのけて、出口に向かおうとしたの手首を咄嗟に掴もうとするが、スーツの袖から見えた青黒い痕に全身が硬直する。
ドアに手をかけて、ゆっくりとこちらを振り向いた。悲痛にゆがんだその目からは、機械的に流れる涙があった。
「……やっぱり、お酒なんて、飲むものじゃないですね。いらないヤキモチは、するし、余計なこと言って、怒られるし、涙腺は……やたら緩むし」
震えているのは、の声。引きつっているのは、の顔。それはもう、銃兎に対する明らかな拒絶だった。
「……変なことばっか言って、すみませんでした。お先、失礼します」
無理矢理明るくしようとした別れの言葉すら、今は傷を負った幼子の泣き声にしか聞えなかった。
一人になると、キィン、という耳鳴りが銃兎を襲った。一番やってはいけない女に、やってはいけないことをしてしまった。その動機も、彼女の父親とそう変わらない。思い通りにならない大事な玩具。銃兎は暴力で感情を訴える一人の男に成り下がり、彼女の心の傷を抉ってしまった。
剽軽で、ふざけてばかりで、なのに優秀で、人に頼ることなんてないのに、自分の隣にいる。少し見下げれば、こちらに気づいてにっこりと笑う。それが、永遠に続いていくような気すらして。しかし、そんな幻想を見るにはもう、すべてが遅すぎた。
寒いくらいに冷え切った全身。銃兎は未だにじんじんと痺れる手のひらを痛いくらいに握りしめる。ギリッ、と奥歯を噛み締めて、戻らない時間を乞うように不規則な呼吸を繰り返していた。
