Episode.4
デスクの上に並べた複数のビニール袋を見下げて、銃兎はかれこれ二十分は頭を悩ませていた。
中に入っているのは、現場で密かに採集した葉っぱの栽培に使用されていた土。一部、鑑識の結果を待っているものもあるが、現段階ではすべての土に同じ成分が含まれていることが分かっていた。
葉っぱを育成する土と肥料なんて星の数ほど存在するが、過去二ヶ月間で十件近くのものがこの結果なのだから、これを偶然と考える方が難しいだろう。ツルの手から支給されているケースも考えられるので、ようやく尻尾を手繰る糸が見えてきたといったところだ。
問題はどうやってこの出処を突き止めるかだが……と思ったところで、ドンドン、と性急にドアを叩く音がした。
「入間さーん。開けてくださあい」
ドンドンドンドンッ、とその音は止まない。下の方から聞こえてるがまさか足で蹴ってるんじゃねえだろうな、と朝からこめかみに太い青筋を浮かべつつ、銃兎はビニール袋をデスクの中に片付けた。
嫌々ドアを開けると、なぜか銃兎の目の前に大きなサイズの――小学生二人は入るだろうか――ダンボールがどん、と飛び込んできて、その脇からの顔がひょっこりと覗いていた。
彼女の両腕はダンボールで塞がっており、見れば、彼女の片足が僅かに上がっている。銃兎の予想は当たっていたらしい。今度蹴りやがったらしょっぴく。
「……なんですかそれは」
「ちょっとだけそこどいてもらえると嬉しいんですけど~」
「質問に答えなさい」
「超重要な参考資料ですー」
おっとっと、とふらついて今にも倒れそうな様子のを見て、説教を諦めた銃兎は部屋の中へ通した。
はよいしょ、とデスクにダンボールを置くと、達成感で満たされた顔で「ご協力感謝です~」と銃兎に笑いかけた。
「ツル関係ですか。それとも別件の?」
「後者ですよー」
嬉々としたはガムテープを剥がして、ダンボールを開く。その中に敷き詰められていたのは、なぜか種類豊富なパペット達。その他にも、色とりどりの敷物や玩具用の柔らかい警棒やぬいぐるみのパトカーなどの小道具。てっきり、長期課題としてに依頼していた新規暴力団のメンバーリストかと思っていた銃兎は、それを見て言葉を失くした。もちろん、良い意味ではない。
わーい、とプレゼントを開けた子供のように喜んでいるの頭を片手でがしりと掴み、銃兎は怒りを憎しみを込めてグギギ、と指の腹に入れた。
「あいたたたたたた」
「これのどこが重要な参考資料なんだ? あ゙?」
「入間さんわたしの頭りんごじゃないです痛いですこれガチで潰れるやつです脳髄弾けるやつですいたたたたたた」
痛みで悶えるを見ても、まるで怒りが治まらない。銃兎がぱっと手を離すと、あれだけ痛がっていたのにすぐにけろりとした顔をしたは、無造作にパペットを手にはめてぱあ、とその口を広げて見せた。愛くるしいはずのカエルだが、今ではの態度も相まってストレスを助長させるものでしかなかった。
「可愛くないですか?」
「元あった場所に戻してきなさい」
「えーっ。これ、持って階段登るの結構大変だったんですよー?」
「あなた……こんなのをわざわざ家から持ってきたんですか」
「郵送しようかとも思ったんですけど、さすがに入間さんに怒られるかなーと思って」
「そこまで考えて、これを持ち込む時点で怒られる頭がなかったのが不思議でなりませんね」
組対舐めてんのか。暴力団と薬物を扱う部署になぜそんなファンシーなものを持ち込んでいいと思ったのか。クソが、と銃兎は適当にひっ掴んだイヌのパペットを睨みつけながら、さっそく両手に嵌めて遊んでいるに問うた。
「こんなおもちゃ、一体何に使うんです?」
「月末に近隣の保育園で交通安全の講習があるんですよ。年少の子が対象なので、パペット劇やろうって話になって~」
「あなた、生活安全課でもなんでもないでしょう。それに、このあいだも小学校の薬物乱用防止教室の話、受けていませんでしたか?」
「同期の子に人が足りないからって頼まれちゃいまして。教室の方はわたしがやりたくて先輩にお願いしました~」
安請け合いが過ぎる。しかしまあ、業務が増えたからといって、他の仕事を疎かにするような女ではないだろう。ツルの件もその時期に片付けたいものだ、と思いつつ、銃兎はふと手の中にあるパペットをじっと観察した。
三百六十度、どこから見てもイヌであることが分かる立体的なデザイン、裏地もしっかり付いていて、色使いも鮮やか。微細なところまで気が配られているのが見て分かる。おまけに縫い目も細かく、ほつれは一つない。このパペットに罪はないのを承知の上で、銃兎はぽつりと感想を述べた。
「……ずいぶんと手が凝ってますね」
「そうなんですよー。学生時代の先輩にお願いしたら、一週間で仕上げてもらっちゃいました」
「あ、カメも作ってくれてるー」と言って、は次々に腕にパペットを嵌め直す。たれ目で、今にも眠りに落ちそうなカメの顔を一瞥して、銃兎はくだらない、とイヌのパペットをダンボールの中に放った。
「入間さんも参加しません?」
「お断りします。そういう柄ではありませんので」
「ウサギもありますよ?」
「そろそろマジでしょっぴくぞお前」
残念だ、と言わんばかりに肩を落とす。すると、「あっ」と思い出したように、彼女はダンボールの中に入れ込んでいた大きな紙を前に出した。
「このあいだの被疑者から聴取したんですけど、ツルを中心とした運び屋のコミュニティがあるみたいです。聞いた感じ、やっぱり生活困難者が大半っぽいですねえ」
「そういう重要なことは最初から話せ馬鹿が……。それで、地域別の分布は?」
「かなりばらつきがあったのでなんとも言えないんですけどー」
はダンボールをずらして、デスクの空いたスペースにマーキング済みの地図を広げる。恐ろしいくらいに用意周到だ。地図をざっと目で流すも、の言う通り、たしかにこれといった法則性は見られない。
銃兎はペン立てからマーカーを取り出し、とある地区をぐるりと円で囲む。そこをとん、と指で指し示し、「この範囲で、生活保護を受けている家庭は?」と尋ねると、は持っていた資料をぱらぱらと捲って、いちにーさん……と数を数え始める。
「ざっと三十件です~」
「すべて洗いなさい」
「鬼畜の所業ですねえ」
眉をへの字に曲げつつも、なんだかんだでやるのだろう。もちろん、銃兎もさすがに一人でできるなどと思っていない。
も人を使うのが……いや、乗せるのが上手い。最年少だから、女だから、といって、他の業務がある同僚達も彼女が頼めば快く協力している。ついでに、あの入間さんに目をつけられて可哀想だ、と少しの同情も含まれているとのこと。それで仕事が捗るのなら、むしろ銃兎はどんな鬼だと思われても構わなかった。
「とにかく、明日の会議には間に合わせるように。いいですね」
「了解ですー」
すると、タイミングよくビブラフォンの着信音が響く。自分のではない……とすると。銃兎がじろりとを見れば、やはりというかなんというか……あれあれ、とが体中をスマホはどこかここかとまさぐっていた。
「……次から電源落としとけ」
「すみませーん」
ようやくスマホを掘りあげたは一度外に出た。朝方のせいか、壁一枚隔てていてもの声がよく聞こえてくる。「うん……うん。今日の仕事終わったらすぐ――」どこか彼女にしては早口だ。いつもそれくらいのテンポで喋ればいいものを、と思う。のペースに慣れつつある自分が末恐ろしく感じた。
声が止み、再び入室してきたは「はあ~……」と疲れたように肩を落としている。何かあったのか、と問いただす前に、は散らかしたパペットを仕舞いだした。
「入間さん、親が階段から落ちて腰をやっちゃったそうです」
「それで?」
「今から早退とかできたりしますかねえ」
できたりしねえよ今来たばっかだろうが。と思いつつ、銃兎はそれを口に出す一歩手前で喉をきゅっと閉めた。たしか、ここ一週間近くは自分があれこれと仕事を頼みすぎたせいで、に仮眠室で寝泊まりをさせていた日が続いていた。昨日も珍しく家に帰したほどで、着替えなどを取りに行くと言っていた。
銃兎は時計を見て、会議との時間を逆算する。期待を帯びた眼差しをじーっと送ってくるに対して、素直にはいどうぞご自由に、とはとてもではないが言えなかった。
「……前借りで休憩を差し上げます。昼までには戻ってきなさい」
「もうひと声~」
「とっとと行かねぇと柱に縛り上げるぞ」
「SMプレイ風味のパワハラは勘弁です~」
そう言うと、はせかせかと準備を始める。地図を仕舞い、資料を脇に抱えたところで「あっ、」と声を上げた。
「入間さん、ついでにお願いなんですけど。このダンボール、しばらくこの部屋に置かせてもらっちゃったりとかします? 共用スペースと個人のキャビネット、もういっぱいで入らないんですよー」
「お前が大量に菓子なんか持ち込むからだろうが……」
すべてがどうでもよくなった銃兎は眼鏡を少し下げて目頭を抑える。そろそろ本気で規律を正さねば、この部署にの国が建立してしまう。この調子を続けさせれば、いつか必ず下の者にも示しがつかなくなる。それだけは避けたい。
まあ、すべては一刻も早くツルを捕獲すればいいだけの話なのだが……と近い未来に想いを馳せていると、銃兎はふと、ダンボールのある一点に目を奪われた。
「……ところで、こんな大きなダンボールはどこから拝借したんですか」
「うちの実家です。親が大の通販好きで、定期的に帰らないと家が空箱で埋め尽くされちゃうんですよ~」
それがなにか? とでも言いたそうな顔では銃兎を見上げるが、さっと目を他に逸らして顔を伏せた。
「……いえ、なにも。早く行ってあげなさい」
「じゃあ、いったんお先に――」
刹那、銃兎の視界からが消えた。
反射的に腕を回した腰と掴んだ手首。銃兎はぐっとを引っ張って立たせると、その反動で自分の肩口にの後頭部がごつん、とぶつかった。銃兎がのスーツの裾裏にそっと指を這わせていたら、とばちりと目が合って、彼女は足元へと視線を下げた。
「あちゃー……。ヒール折れちゃいました」
「そんな高い靴を履くからですよ。次からは動きやすいものをチョイスしなさい。替えのものは?」
「ロッカーに予備があるので平気ですー」
「支えてくれてありがとうございました~」そう言って、意外にも早くぱっと離れた。銃兎は彼女の背中がドアの向こうに消えるまで見送り、部屋のドアが閉まると、はあ、と思わず息をついてしまう。なんだろう、この数分でどっと疲れた。おまけに余計なものを見てしまって、ようやく片付き始めたタスクが振り出しに戻ってしまった。
そして、銃兎はおもむろに引き出しからテープを取り出し、ダンボールの底に貼り付けた後、付着したそれを冷えた目で映す。途中、頭に過ぎったのは、の腕を掴んだ拍子に見えた彼女の首筋。そこにくっきりと浮かび上がっていた青痣を思い出して、銃兎は舌を打った。
