Episode.4
服が分からない。
ついに頭がおかしくなかったか、という勘違いはしないでほしい。俺はただ、“織原さんの隣に並ぶのに相応しい服”が分からないのだ。
出かける場所は分からないが、目的はウォーキングって言っていたし、おそらく林道とか公園とかそこらへんだろう。変におしゃれ過ぎず、アウトドアな感じでいいんだろうけど、最近はスーツもしくは部屋着のスウェットしか着ていないせいか、俺の中で私服という概念はなくなりつつあった。
俺の普段着なんてたかが知れているし、いつか新調しなければ……しなければ……と考えていたら、あっという間に前日になってしまった。馬鹿野郎。仕事帰りに買いに行けばいいか、と悠長に思っていたが、今すぐにでもマイホームに帰りたい一心で普段直帰一択で電車に乗っている俺が、仕事帰りにウィンドウショッピングなんてできるはずがなかったのだ。今気づいてよかった。いや何もよくない。遅い。すべてが遅すぎる。叶うなら織原さんにお誘い頂いた瞬間からやり直したい。今から噛まずに返事できるから。多分。
「なぜ僕に相談してくれなかったんだい!?」
――などと、クローゼットの前でひとり悶々と考えていたら、ホストモードの一二三が帰ってきた。そういえば今日早上がりって言ってたな、と思いつつ時計を見る。もう深夜の一時を過ぎていた。帰ってきてからずっとこんなことしてるのか俺は……と進歩のない現状に自己嫌悪。ふと見れば、俺の部屋は自分が出した服でかなり散らかっていた。
「そ、相談も何も……たかが服だし、自分で決められると思って――」
「女の子を歩く時、男のファッションはその子のステータスの一部になるんだ。よって、自分じゃなく相手の女の子のためを思ってコーデをする必要がある。中途半端な気持ちでセレクトしては駄目だよ」
痛いところを突かれて俺はうぐ、と後ずさりする。さすがは女性の心を熟知している新宿ナンバーワンホスト。説得力がそこらへんにいる男とは違う。
「このあいだ、一緒に服を買いに行った時に僕が選んだものがあるじゃないか」
「そんなのあったか……?」
首を傾げながら、俺は改めてクローゼットを漁る。そういえば、前に一二三の用事で強制的に駅前のデパートに連れて行かされたことがあったな。あの時か。女性ブランドの流行をチェックしがてら、一二三の私服を買いに付き合った俺の貴重な休日。そして、ついでに俺のも買えと一二三に言われて、はした金を手放し、着る機会がないであろうと思いつつも買わされた服数着。あの時は何十連勤の末に待ちに待った休日だったので、断固として布団から出ずに寝てやると思ってたのに、あれよあれよと外に駆り出され勘弁してくれと心底憎らしい気持ちで一杯だったが、今は感謝の気持ちしかない。
処分しなければたしかここらへんに……と探したら、あった。トップス二着とボトムス。タグすら切ってない。クローゼットに押し込まれていた俺の私服よりも何倍もおしゃれだ。見ているだけで眩しい。
「独歩君の話によると、織原ちゃんは一般的なOL……富裕層のマダムのようにデパートで服を買うお金の余裕はないはずだ。大方、ショッピングモールやアウトレットの専門店街で買うくらいだろうから、あまり高価なものを選んでは彼女が浮くよ」
「俺が言うのもなんだが今のお前ちょっと怖いぞ……」
「ボトムスは独歩くんが前々から持っているものでいいよ。ウォーキングなら少しでも履きなれたものがいいからね。……ああ、ちょうど今枕元に放ってあるジーンズにするといい。あとは買ったこのトップスを――となると……小物もいくつか欲しいな。アウターは僕のを貸してあげるから、とりあえず独歩君はこれとこれに着替えてくれたまえ」
そう言いながら、一二三がちゃっちゃと並べてくれたコーディネート一式。嵐のようだと思いながらも、部屋を出ていった一二三を見送り、残された俺は言われた通りにのそのそと着替え始めた。
そしていざ、全身鏡の前に立つとそこには俺の知らない俺がいた。誰だこれ。異世界で生きている俺か? おしゃれな街中で歩いてる人がよくこういう格好をしてるの見るぞ。しかも顔面偏差値もモデル並みの人。それがこんな……しょげたおっさんが着ても、まるで人間が服に着せられて歩いてるように見えないか……? 顔だけ浮いてないかこれ。少なくとも俺には見える。身の程を弁えずに無駄に気合い入ってる~ぷーくすくすとか思われたらどうしよう。
「おぉ~っ!? けっこー様になってんじゃん!」
「一二三っ。これはちょっとおしゃれ過ぎるだろっ。もうちょっとシンプルなやつに――」
「普段の独歩がダサすぎんの! 俺っちのセンスに狂いはないからだいじょーぶい!」
ジャケットを脱いだ一二三から発せられる悪意のない言葉がぐさりと俺の胸に刺さる。「素材はいいんだからさ~。もちっとおしゃれに気ぃ遣えば、独歩もぜぇったいモテモテなのに~」と言いながら、一二三は自前のマフラーとアウターを渡してくれた。そんなわけないだろ、と思いつつもぎこちなくアウターを羽織る。見た目といい着心地といい、普段俺が買っているものとは格が違うということはすぐに分かった。これ、一体何万するんだろう。汚さないようにしよう。
「うひょ~っ! ちょーぱーぺきなんですけどぉ! 今の独歩、世界一かっこいいから自信もっていいかんな~っ! 当日は二十分前くらいに現地着いてればだいじょ─―あっ、そういや、集合場所は駅前って言ってだけどどうやって合流すんの?」
「あっ……」と俺はぽかん、と口を開ける。そういえばそうじゃないか。織原さんとの連絡するすべがない。というか、話題にすら上がらなかった。
おそらく織原さんも、最初会った時に俺の連絡先の書いたメモを渡しているから、連絡がつくつかないとか、そういう心配はなかったのだろう。まさか本人も捨てたとは思っていないだろうから、連絡手段の話題に触れずにここまで来てしまった。
どッ、どうしようどうしようどうしよう……っ!! 喉が渇いて、全身の皮膚がさっと冷たくなる。なんであのメモを取っておかなかったんだ。今の俺にとっては家宝ものだぞ。額に入れて飾っておきたいレベルだぞ。なんか怖いと思ってゴミ箱に捨ててしまったあの時の俺を殴りたい。
しかし、もうすでに灰になっているであろうものに手を伸ばしても無意味だ。駅前に着いた時の織原さんを探すシチュエーションや、会えた時に連絡しなかった言い訳を必死で頭の中で絞り出していたら、一二三がにやにやとしながら、ベストの胸ポケットからピッと一枚の紙を取り出す。そこには、見覚えのあるナンバーが特徴的な字体で書かれていた。
「じゃじゃーん!! なんかもったいないと思って、ごみ捨てする時に見つけた俺っちが大事に取っといたんでした~!!」
「イザナミノヒフミ」
学生時代にクラスメイトが一二三を神として崇める時に使っていたあだ名を俺が使うことになるとは。こんなにもお前が俺の幼馴染でよかったと思えたのは今日が初めてだよ。今度回らない寿司奢ってやるからな。
「せんぱあい。それ、かんぺきデートじゃないですか~」
学生時代の後輩である彼女はそう断言する。彼女は持っていたティーカップを置くと、珍しく神妙な顔でをじっと見つめた。
「付き合っていようがいなかろうが、男の人と二人っきりで出かけるのは世間一般的にデートっていうんですよー」
「でーと……」
そう言われてはつたなく復唱してみるも、まったく言い慣れない単語だ、と漠然と感じる。まさか、恋愛に無頓着だった自分がこの言葉を口にするとは思わなかった。
独歩とお出かけ――いや、デートの前日。服が中々決まらず、少なくとも自分よりもそういうことに詳しいであろう彼女にコーディネーターになってほしいと頼んだ。真昼間のビル街で、ワンコーデのつもりがワンシーズン着回せるのではという量の服を買い占めてしまい、おかげでの財布は少し薄くなった。まあ、使うあてもないし、とそれは案外簡単にすっぱりと割り切れた。と同時に、恋ってすごいなあ、としみじみ思う。普段ならこんな買い物は絶対にしないものだから。
「というか、せんぱいから誘ったんじゃないんですか?」
「気づいたら、そう言ってた」
感覚として言うなら、好きが溢れたといえばいいのか。
電車が遅延したおかげで、途中まで独歩と一緒に帰れると浮かれていた満員電車。その拍子で密着した彼の体に、は心臓がどうにかなりそうになった。なんなら持病の貧血で倒れそうになった。そして、勢い余ってしまったあの言葉……あの時の告白から何も学べていない。口は災いの元、と幼い頃に院長にも口酸っぱく言われた記憶があるというのに、はいつも感情と言葉の同時進行が過ぎてしまう。
別に、デートをするつもりはなかった。ただ、少しでも独歩がリフレッシュできたらいいと思っただけだ。だから、そういう下心とかはまったくなくて。でも、彼はどう思っているか分からない。変に思われたらどうしよう、とは今更ながらに顔を覆った。
「当日、なに話そう……」
「変に気負うと相手に引かれるかもなんで、普段通りでいいと思いますけどねえ。お相手はー……カンノンザカさんでしたっけ? お昼は一緒に食べてるって聞きましたけど、その時はどんな話してるんですか?」
「仕事の話、ずっと聞いてる」
「えっ。つまんな」
ぽろっと零れた彼女の言葉にはむ、とする。独歩の話をつまらないと思ったことは一度だってない。
の表情の変化を察した彼女は、「すみません。つい本音が」とへらりと笑った。
「でも、観音坂さんの顔見てるだけで精一杯で、内容があんまり入ってこない」
「それ、今さっきのわたしとどっこいどっこいですよー」
自分もそう思う。元来、聞くのも話すのも好きだ。というか、独歩ならなんでもいいとさえ思っている。一緒にいれたらそれでいい。しかし、相手はそうではないだろう。最近こうして、ようやく周りに対して目を向けることができたが、そのせいでもしも、だとか、もしかしたら、だとか、仮定の話で変に心配してしまうのがネックだった。
……しかしまあ、悩んでいてもなんとやら。なるようになるしかない。よし、と踏ん切りのついたは残っていたココアを一気に飲み干した。
「ありがとう。色々付き合ってくれて」
「全然いいですよ~。せんぱいと恋バナできてわたしも嬉しいです~」
二人で会計を済ませてカフェを出る。このあとの予定は決まっていない。どこか寄るところはあるかと聞こうとしたところで、「あっ」と唐突に彼女が声を上げた。
「ちなみにせんぱい。帰りにホテルとか行きます?」
「ほてる」
「もしも行くなら、下着も新調した方がいいですからねえ」
別に旅行に行くわけではないのに、と思ってから、ははたとする。じわ、と顔が温かくなっていくのを感じて、は静かに瞬きを繰り返した。
そういうことまでは、まったく考えてなかった。だって、そういうのは好きな人同士がするもので、今はまだ一方通行どころか会話もまるでドッヂボールのような関係で――
「せんぱーい。せんぱいはその人にぞっこんなんですよねえ。運命の相手レベルに惚れ込んでるんですよねえ」
「うん」
「ならなおさら、遠慮なんてする必要ないですよー。もたもたしてたら、そこらへんの女にかっ攫われますから」
「奪われたくないなら攻めるのみです~」とまで言う彼女に、ほう……とは言葉をなくした。
たしかに、そうかもしれない。今までは生きてきた環境上、妥協してきたことも多かった。でも、人はものとちがって替えはきかない。あの日、自分の手を後ろから引いてくれた彼は……独歩しかいないのだ。
明日は、頑張ろう。は改めて意気込む。家に帰ったらさっそく、“初デート”、“会話”、のワードでウェブ検索することにした。
