ポルカドットのリズムで眠る



 与えてくれたものがたくさんあった。当たり前だと思っていたことがとても尊いことで、その優しさに甘えて、冷たくあたってしまったこともあって、そういうことを思い出すたびに、今でも、どうしようもなく叫びたくなる。
 たった一度タイムリープができるならば、この身を裂かれてもいい。たった数秒死者の声が聞こえるならば、二度と音を聴けなくてもいい。犠牲になるのは、不甲斐ない己だけ。呪うのは、あの時に何も出来なかった己だけだ。

 ――「人の絶望ってめちゃくちゃエンタメになるよな」

 あの頃、自分が置かれた環境と、その場に偶然集められた人たち。それらが、ほんの少しの摩擦を起こして、大きな炎となった。それは今もなお、轟々と燃え続けて、この胸を焼いていく。一時立ち直っても、灰になって、立ち直って、また灰に。地獄のようなサイクルは止むことなく、ただ、未練と後悔の形になって、焼けた残骸だけが積もっていく。
 ……どうして、自分だったんだろう。理由が聞ける人間も、今はもういない。そうして、いつからか、答えを探すことすら諦めてしまった。







 歩くたびに、水飛沫が指にかかる。汲む水の量をいつも間違えてしまって、毎度重たい桶を両手で運ぶ。大切なアマンダはショルダーバッグの中に。お花屋さんで買った花束は指の間に挟んで。バンドの練習とライブのほかに、最近ではDRBの練習も増えたから、ばあちゃんのお墓に足を運ぶ機会は少なくなってしまった。
 駐輪場から水汲み場に来るまでに出会った人はいない。年忌とかお盆とか……ふつうは、そういう節目にしか来ないのかもしれない。自分のように、月に一度もここに来るのは変なのかもしれない。そう思って、お墓参りの頻度について、空却さんに尋ねたことがあった。
 すると、彼は「ああ?」と訝しげに、面倒くさそうに、眉を顰めた。

 ――「お前、身内の家に行く時にわざわざ頻度とか気にするんか」
 ――「えっ。いや、行きたい時に行くって感じなんで、頻度とかは特に……」
 ――「だろ。墓参りを盆と年忌にするってのはただの基準だ。もしそれが家族なら、なおさら遠慮なんざいらねーだろ」
 ――「そ、そうかもしれないっすけど……」
 ――「ホトケさんにとっちゃあ、墓は俗世にある家みてーなもんだ。墓参りなんざ、ばあさんかじいさんの家に行く感覚で行ったらいいんだよ」

 言っていることは正しいことのような気がするのに、話の最後に付け加えられたあくびですべて台無しだ。でも、空却さんが言った言葉は胸の中にずっと残っていて、いくら外見の自分が腑に落ちない顔をしていても、内なる自分は納得しているのだ。
 同じ言葉を住職さんに言われても、おそらく、自分は愛想笑いで終わっていたと思う。空却さんが修行僧だからか、単なる空却さんだからか……彼の口から紡ぎ出される言葉は、まるで、この世の無常を旅してきたような重みがあって、ああそうなのか、と。よくも考えずに、胸の内にすとんと落ちてくるのだ。

「(……あ、)」

 そんな空却さんにも大切な女の子がいると知ったのは、ここ最近のことだ。
 ちょうど、頭の中で思い描こうとした子が、そのまま現実世界に現れた。一つの墓前で合掌しているその子は、まるで眠っているかのようにその場にしっとりと佇んでいて、自分は思わず足を止めた。
 ……声をかけていいかどうか、迷ってしまう。もちろん、かけるなら合掌が終わった後なのだろうけど、お墓参りをする時は、終始言葉にできない感情が渦を巻いていて、いざ、人と話そうと言う時に、上手く声が出てこない時がある。自分が、まさにそうだから。
 彼女は……どうなんだろう。石段の途中で自分が立ち尽くしていると、不意に顔を上げたその子は、自分の方を見てから「あっ」と声を上げた。

「十四くん、こんにちは~」

 その表情が、あまりにもにこやかだったものだから、返事をするまでに時間がかかってしまった。「こっ、こんにちは、っす」おまけにどもってしまった。それでもその子は……ちゃんは、にこにこと笑ったまま、「こんにちは」ともう一度挨拶をしてくれた。
 あれ、お墓参りって、こんなにも明るくするものだったっけ。頭上に浮かぶクエスチョンマークが止まらない中、「じゃあねばあば、おじいちゃん。また来るねえ」と言って、ちゃんは空になった桶を持って、こちらに歩いてきた。

「十四くんもお墓参り?」
「はいっ。最近、なかなか来れなかったので」

 「そっかあ」と朗らかに笑むちゃん。さっき、ちゃんが合掌していたお墓を一瞥して、自分はおそるおそる尋ねた。

ちゃんも、ご家族のお墓参りっすか……?」
「うん。ばあばとおじいちゃん」

 ちゃんのおばあちゃんとおじいちゃんかあ……。きっと、ちゃんみたいに優しい人なんだろうなあ。それでも、ちゃんはあまり悲しそうにしていなくて――いや、あんまり、決めつけちゃうのはよくないんすけど、ほんとうにいつも通りだから、なんだかびっくりしてしまう。
 どうしてだろう。どうして、お墓の前で、そんなに朗らかに振る舞えるんだろう。そんなに優しく笑えるんだろう。どうして――

「十四くんは?」
「えっ? ……あっ、はい! 自分も、ばあちゃんのお墓参りです」

 「そっかあ」さっきのように、ちゃんはまた笑う。そして、「十四くんのおばあちゃんに、手ぇ合わせていいかなあ」と言葉が付け足されて、自分は、もちろん、と強く頷いた。



 ちゃんのおばあちゃんのお墓から少し階段を昇ったところに、ばあちゃんのお墓がある。自分がお墓を掃除している間に、ちゃんは花立にお花を生けて、水鉢に水を入れてくれた。それほど汚れていなかったお墓の掃除はすぐに終わって、自分はお供え物の砂糖菓子をちょんと置いた。
 そして最後に、お線香を供える。宗派によってお線香を立てる本数は決まっているらしいけれど、うちの宗派はよく分からないので、いつも束で供えていた。
 お線香の上下それぞれを纏めている紙を、片方だけぺりっと剥がす。これがなかなか頑丈で、自分はあまり上手くいった試しがなかった。

「自分、この紙破くの、いつも失敗しちゃうんすよ。お線香折れちゃったり、途中でばらばらになっちゃったりして……」
「わかるよ~。そういえば、わたしもむかしはできんかったなあ」

 花を生け終わったちゃんが隣に立って、自分の手元を見上げる。そして、「空却くんがね、何回も教えてくれたの」と付け足した。なるほど、と自分は合点がいく。もしも自分がちゃんの立場なら、鈍臭え、と言われて、二回か三回は叩かれていただろう。
 今回はなんとか成功して、お線香の端にマッチで火を付ける。お線香立てに供えた後は、二人で静かに手を合わせた。そして自分は、ばあちゃんのことを思う。最近あったこと、バンドのこと、アマンダのこと、それから――

「(隣にいる女の子、前に話した空却さんの――あ、いや、彼女とかではないみたいなんすけど、自分は応援してるっすよ。今は、幼馴染みたいな関係で、ちゃんっていいます)」

 ばあちゃんに誤解されてしまうと空却さんに怒られてしまいそうなので、きちんとちゃんの紹介を済ませた。話すことが終わっても、ここから離れたくなくて、もう少し、もう少し……と思っているうちに、話すことを探すこともやめてしまって、それからは、心が浮かぶものをそのまま溢れたままにした。
 ――刹那、あまりいい味のしない、どろっとしたものが垂れてきて、びくっ、と自分は体を揺らす。おまけに、少し呻いた声も漏らしてしまったかもしれない。はたとして顔を上げると、ちゃんが手を合わせたまま、不思議そうにこちらを見上げていた。
 あ……どうしよう、へんに、思われちゃったかもしれない。どうしよう、誤魔化さなきゃ。

「えっ、えぇっと……! ちゃんって、手ぇ合わせてる時に何考えてますかっ?」

 咄嗟に考えた自分の質問を受けたちゃんは、うぅん、と考えて、「最近あったこととか、商店街に新しくできたお店のこととかかなあ。最近は世間話ばっかりだよー」と言う。続けて、「十四くんは?」と尋ねられて、自分はすぐさま返ってきたブーメランに頭が真っ白になってしまった。

「じ、自分も……えと、ちゃんと、おなじ感じっす。でも……」

 胸に溜まった塊が重たい。せっかく明るく振舞っているちゃんに、暗い話をしたらだめだ――そう思っても、穏やかな彼女を見ていたら、つい、口が動いてしまった。固く閉じた心の扉から、僅かに光が漏れてしまった。

「悪いことばっかり……考えちゃうっす」
「わるいこと?」

 こくん、と自分は頷いた。「自分のばあちゃん、病気とか、そういう理由で亡くなったんじゃないんすよ」そう付け足して、重々しい溜息とともに、自分は言葉を紡いだ。

「自分の、せいで……自分が、ばあちゃんを殺しちゃったようなものなんです」

 ずっと、思ってきたことだ。それでも、改めて口に出すのは初めてのことだった。でないと、両親を悲しませてしまいそうで、獄さんに叱られてしまいそうで。それでも、もしもあの時――と、何度も何度も考えた。

「大好きで、大切な人で、何度もお墓参りしにきてるんすけど、この行為ですら、ばあちゃんへの罪滅ぼしというか」

 言葉を吐き出していくうちに、自己嫌悪が自身の体に纏わりついていく。こんなことを言っている自分が嫌になるのに、それでもだれかに聞いてほしくて、長年心に仕舞い続けてきたものを、だれかに知ってほしくて。唇は鉛のように重たいのに、自分の口が閉じることはなかった。

「だから、ばあちゃんも、本当は自分にお墓参りなんて、来てほしくないのかもしれないっすね」

 あはは、と。さいごに自嘲した。喋っている間、自分から一度も目を逸らさなかったちゃんが初めて、うろ、と視線を迷わせて、唇を開けたり、閉じたりした。ごめんなさい、ちゃん。自分、ちゃんを困らせたかったわけじゃなかったんです。ちゃんの優しい雰囲気に甘えてちゃって、こんなこと言っちゃって。もしも自分が、もっと強かったら、だれかに寄り添わずに、ちゃんと、一人で立てたのに。ああ、ほんとうに、ごめんなさ――

「むかしね、」

 不意に、ちゃんが喉を震わせる。ここで眠っている人達に聞こえないような、ひっそりとした音が、自分の耳に届いた。「空却くんが、言っとったことなんだけど」

「“死んだ人間が考えとることなんて分からんわ”って」
「わあ……。すごく言いそう……」
「それを聞いたとき、わたしも、“たしかに”って思っちゃって」
「思っちゃったんすね……」

 「わたし、空却くんの言うこと、すぐに、そうなんだあ、って思っちゃうの」ちゃんは少し笑って、言葉を続ける。

「それでね、これは、生きとる人にも、同じなんだけどね。人の気持ちを考えとるときって、本当に、自分一人だけじゃあ、どうしようもできないことばっかりなの」

 やになっちゃうよねぇ、と言わんばかりに、ちゃんは苦笑した。

「相手しか答えはもっとらんって分かっとっても、考えられずにはいられんの。そうやって、自分がぐるぐる考えとる時は苦しいんだけど、いちばん心が楽になるの」

 ちゃんの言うことは抽象的だったけれど、すごく、分かる。分かってしまう。自分がえらかった時、大丈夫? と心配してくれたばあちゃんの声に、応えられなかった自分。あの時の選択を別のものにしていれば、と。もしくは、それ以外の選択をしていたら……と、思うことが多々ある。
 一番苦しいのは、その思考の渦に抗うこと。あれが最善だった、と奮い立たせる自分と、いや駄目だったんだ、と過去に背中を向ける自分との闘いだ。

「それでね、空却くんが、“そんだけ自分のこと呪っとるなら、もう一生楽になるな”って」

 自分で自分に罰を与えたいなら、とりあえず、一日でもいいから死んだやつのこと考えずに過ごしてみろ、って
 なんて荒療治なんだろう。空却さんらしいといえばそうだが、ちゃんに、そんなことを言うなんて。でも、ほんとうに悔しいくらい、その言葉が胸にすとんと落ちてくるものだから、参ってしまった。

「それって……どんな理由でも、ですか」
「どうなんだろう……。あ、でも、人の死に大きさはないって、空却くん言っとったから、たぶん、理由はなんでもいいと思うよ」

 「空却くんの受け売りばっかりでごめんねぇ」とちゃんは笑う。そんなことない。自分はぶるぶると首を横に振る。
 すると、ちゃんはやわらかな眼差しでばあちゃんのお墓に目をやった。

「お墓参りはね、ここの世界に唯一あるホトケさまのおうちだから、ホトケさまが帰ってくるお盆とかに、ちゃんときれいにするんだって」
「ということは、やっぱりお盆以外に行っても意味ないんすか……?」
「あっ、わたしもそのときに空却くんに同じこと聞いたよ」
「空却さん、そのときになんて?」
「“きれい好きってことでいんじゃね”、だって」

 それを聞いて、二人で笑った。お坊さんの言葉というより、あまりに空却さんらしくて、なんだか、もう、笑うことしかできなくなった。同じ質問でも、自分とちゃんに対する答え方は違って、それでも行き着くところは同じで、ほんとうに、なんだかおかしくて、涙が出てきてしまう。
 さっき思っていたことは撤回しなくちゃいけない。ちゃんは、明るく振舞っているんじゃない。もう、おばあちゃんの死を乗り越えているんだ。自分は、まだ少し時間がかかるかもしれないけど、その一歩を踏みだす勇気は、大切な二人から十分にもらったから。

「自分、なんだか元気でてきたっす!」
「ほんと? よかった~」

 にこにこしながら、ちゃんは言う。どちらからともなく足は階段を下っていって、「ちゃんは、この後どうするんすか?」と自分は少し背を曲げながらちゃんに尋ねた。

「わたしはね、商店街で食べ歩きするんだ~」
「食べ歩きっすか?」
「うん。お墓参りのあとはいつもそうするの。わたしのばあば、たくさん食べたら、たくさん笑ってくれたから」

 そういえば、自分がご飯を食べている時も、ばあちゃんは嬉しそうにしていた。たくさん食べすぎてお腹が苦しくなった時もあったけど、それでも、ばあちゃんが作ってくれたご飯は、今でも大好きだ。もし、ちゃんがよかったら――

「あっ。もしよかったら、十四くんもどうかなあ」

 言う前に渡されたちゃんの好意に対して、また涙腺が緩みそうになった。だめだ、せめて、女の子の前では泣かないようにしないと。ぎゅっと目を瞑って、ぱっと開く。視界に映る世界が、ほんの少し色味が鮮やかになった気がして、幻覚にちかい星が目の前でちかちかと瞬いた。そして、自分は彼女のようににっこり笑った。ぜひ、と答えて。
 空却さんに見つかったら……その時は、うん、今回は、叩かれてもいいや。ちゃんと階段を降りている途中に、自分は秋晴れの空を見上げる。まだ、たくさん悲しんでしまうかもしれないけれど、もう、涙は零さないように。さあ、上を向いて歩こう。明日の光が、今日よりも明るく、自分の行く道を照らしてくれることを信じて。
 ――ね。そんな世界に、一緒に行こうか。アマンダ。