Episode.3



「……あ?」

 日が暮れ、すでに門を閉めたある日のことだ。長い廊下を歩いていた空却は、本堂の前で呆然と立っている僧を見つける。たしか彼は、先日うちに出家してきたばかりの修行僧だった。
 そんな彼の手には雑巾が握られている。大方、本堂の掃除をしようとしていたところだろう。しかし、なんとなく彼の様子がおかしいので、「よお」と空却は彼に声をかける。すると、空却に気づいた彼ははたとして、こちらに向かって軽く会釈をした。そんな堅苦しい所作を片手で軽く制して、空却は彼の前まで来た。

「今日の当番はお前か」
「はい。そのはずなんですが、どうやらどなたかが先に掃除をされた後のようで……」

 言葉の後に続いたのは、修行僧の困った顔。このやり取りも今週に入ってから何回目か。もう慣れている僧であれば苦笑いで察しがついただろうが、うちの事情を知らない新入りは疑問符しか浮かばないだろう。
 「あー……」空却は言葉を濁しながら、本堂を一瞥した。

「悪ィな。本堂の掃除はもういいからよ、違うとこ頼めるか。たしか、裏庭の掃き掃除がまだのはずだ」

 不思議そうな顔をした彼だったが、すぐさま「分かりました」と返事をして、再び空却に頭を下げ、本堂の前を後にした。
 さて、と空却の足は本堂に入る。参拝客が頻繁に出入りする床には、遠目から確認できる塵は一つも落ちていない。香炉にも線香の燃え滓はなく、綺麗な灰だけが残っていた。そして、その傍らには小さな脚立も。
 空却は本堂を歩きながら周りに視線を配らせる。そして、特段理由もなく目についたのは御本尊の前に置かれている仏具。一見ごちゃごちゃとしているように見えるが、所定の位置にきっちりと並べられているのが分かる。そこに目を細めた空却は柵を超えて、御本尊が御座す段の裏を覗いた。そこに挟まるように身を縮めているものを見つけて、こんなとこにいたか、と溜め息をついた。

「空良。勝手に本堂の掃除すんなっつったろ」

 今年で五歳になったばかりの我が子は、小さな隙間に体を収め、両膝を抱えながら丸まっている。憎らしげにこちらを見た空良は、両頬を大福のようにむくっと膨ませた。

「……わたしも、みんなみたいに“とく”つみたいもん」
「そんな下心丸出しで掃除しても積むどころか抜けてくだけだぞ」

 そう言うと、あいにく逆効果だったのか、空良はさらに唇をとがらせて、ぷいっと顔を逸らしてしまった。完全に不貞腐れている。こういう時は食べ物で釣るか、お庫裏に説得役を担わせるかの二択だが、あいにく今は手持ちがないし、肝心のお庫裏も今は外に出ていて不在だ。どうしたもんか、と空却は頭を掻いた。

 ――ここ数日、当番が掃除したわけでもないのに、寺の至る所が綺麗になっているという怪奇が続いている。ある時は納屋、ある時は他の堂、ある時は手水舎――れも、他の人間が手を出せないくらいの出来栄えで、掃除をしに来た人間は首を傾げるばかりだという。
 無論、それだけなら怪奇と言わない。こちらのお家事情を把握している既存の僧であれば苦笑いとともに軽い報告だけで済むが、寺に来たばかりの修行僧はそうもいかない。蔵の裏から小さい子の笑い声が聞こえました、後ろから足音がするのに振り返ったら誰もいないんです、風も吹いていないのに立てていた竹箒が頻りに倒れて――と頭部と同じくらい顔を真っ青にさせて報告してくる。そして、それを受けた空却は今頃くすくすと笑っている我が子の姿を想像するわけだ。あの悪戯好きは一体誰の遺伝子を受け継いだのか……皆目見当もつかない。
 どうやら、うちの娘はここに住んでいる自分自身を差し置いて、他人である僧侶が寺の掃除することをお気に召さないらしかった。

「ねえ、とーさん」
「なんだ」
「わたしたちのいえなのに、どうしてほかのひとがそうじするの。わたしもここにすんどるのに、どうしてそうじしちゃかんの」

 空良はちろっとこちらを見上げながらぽそぽそと言う。今までは“他の奴がやることをするな”としか言ってこなかったが、それでも納得せずにこの有様。言おうか迷ったが、このまま訳も分からず駄目という言葉を突きつけても、彼女にとっても苦だろう。もしも自分ならばとっくに癇癪を起こしている。

「……ひとまず、そっから出てこい。話はそれからだ」

 そう言って、空却がその場を離れると、荘厳に佇んでいる御本尊の前に胡座を掻く。すると、空良がこそっと隙間から出てきた。「ごほんぞんさま、おじゃましました」と律儀に挨拶をした我が子はとてとてとこちらに近寄ってきて、空却の足の間にちょんと座った。こいつ、また重くなったな。
 空却は一度御本尊を仰ぎ見てから、空良を静かに見下ろした。

「厳密にはな、ここは拙僧らの家じゃねえんだ」
「え」
「今はじいさんが住職しとるから、家族である拙僧らは寺の一部に“住まわせてもらっとる”ってだけに過ぎねえ」

 途端に、空良の表情がぴしりと固まる。「じゃあ、じゃあ」と彼女は狼狽えるように口を開いた。

「おじーちゃんがじゅーしょくやめたら、どうなるの?」
「拙僧が住職になる」
「とーさんがじゅーしょくになれんかったら?」
「それは万一もねえから安心しろ」
「このまえ、おじーちゃんが『まだみじゅくもののくーこーなんぞにじゅーしょくはやらせんわー』っていっとったよ」

 あのクソ親父め……余計なことを。しそうになった舌打ちを口の中に収めて、空却は溜息混じりに言葉を続ける。

「そうなった時は、他の奴が住職になって、家族諸共宿無しだ」
「やどなし……っ?」

 じわっ、と空良の目が潤む。こうなるから言いたくなかったってのに……。空却は「んな怖がんな」と吐き出すように言った。

「五百年以上、うちの寺は代々波羅夷の家系で成り立っとんだ。奇跡でも起きない限り、他のやつが住職になることもねえよ」
「とーさんが、じゅーしょくになれないきせきがおこるかもしれん……」
「父親の度量をちったあ信用しろや」

 口ではそう言うものの、空却は分かっている。彼女は根が真面目というか、慎重すぎるというか……まあ、そういうせいもあって、少々心配癖がある。もう少し破天荒になればそれなりに生きやすいものだが、と親として考えることも常だった。
 「まあ、とにかくだ」今にも目から涙が溢れそうな空良に向かって、空却は穏やかに語りかける。

「拙僧らにとっても、ここは仮の住まいだ。だから、掃除する権利はここにいる人間全員にある」
「ぜーいんなら……わたしにもある……?」
「あァ。だが、修行する身である僧が優先だ。来たる得度に向けてな」

 しばらくこちらを見上げていた空良は、すん、と俯いた。表情こそ見えないが、少なくともその小さな唇がきゅっと固く結ばれていることは察した。

「じゃあ……わたしは、うちで、なにができるの……」

 喉を絞るようにして紡がれた音に、もうすでに水っぽくなっている声。ずん、と足の間に沈んでいく我が子のかなしみを感じながら、空却は口を開いた。

「……ひとまず、母さんに手伝えることがねえか聞け。いなかったらじいさんでもいい」
「なにもないよっていわれたら……?」
「そしたら拙僧のとこに来い。寺のことでなんかはやらせてやる。とにかく、勝手に掃除やんのは金輪際抜きだ」

 「あと、新入りを驚かすのもな」空却はそう付け足す。空良はじっと黙ったまま動かない。じきに、細い肩がきゅっと縮まって、ん、と小さな声が漏れた。

「……わかった」
「良し」

 空却は空良の頭をぐしゃっと撫でる。その間にすんっ、と鼻を啜る音がしたが、あえて触れなかった。
 むくりと立ち上がった空良に向かって、「母さんならさっき台所にいたぞ」と言うと、ううん、と空良は首を横に振った。「かーさんのところ、いくまえに」

「さっきのひとに……おそーじしてごめんなさいしてくる」

 振り向きざまに、空良のばつ悪そうな顔が窺えた。それでも、その金の目は色濃く、凛としており、それを見た空却はくっと喉の奥で笑った。
 「そうか。あいつなら今裏庭だ」そう言うと、ん、と空良は小さく頷いて、とたたっ、と本堂を後にする。まったく……思っている以上にまっすぐ伸びる子だ、と深く息をつく。そして、その場から立ち上がった空却は本人に気づかれないようにその足音を辿った。
 子にも、考える頭はある。だから、放つ言葉も加える手も最小限に留めるのが波羅夷家の流儀。その代わり、目と心だけは我が子に終始向けている。よって、親が子に対してできることは少ない。親同伴の謝罪も、子供扱いをされて機嫌を損ねる彼女の本意ではないだろう。
 それでも……我が子の成長を影から見守るくらいは許されるだろう。あと、親として出来ることといえば、「ごめんなさい、してきた」と報告してくるであろう空良を、目一杯褒めてやることくらいか。







 あれから数年後。昔よりも修行僧の出入りが激しくなり、皆、決められた場所をてきぱきと掃除している。寺の切り盛りを一手に担っているお庫裏の負担が減ったのは良いことだが、今期のような閑散期だとやることがなさすぎて、むしろやることを探すことの方が大変になる。
 そんな中、空却が暇つぶしがてらに自室で寄付札を書いている時のこと。聞き慣れた足音が廊下から聞こえくる。そして、じきに部屋の襖が控えめにすっと開いた。

「父さん、今いい?」
「おう。どうした」
「ひま」

 足音の主である空良は端的にそう言った。昔、寺のことを無断でしてはいけないと諭してからは、何かやることはないかと母に尋ね、首を横に振られたら灼空に尋ね、それでも駄目なら自分のところに来て、こうして訴えることが多くなった。
 しかし、あいにくだがやることはない。寄付札ももうじき書き終えるところだ。空却はいったん筆を置いて、壁時計を見る。そろそろ夕暮れも近い頃。うちのお庫裏と夕飯当番の僧が台所に立つ時間だ。

「……んじゃあ、買い出し行くか」
「商店街?」
「あァ」

 空却が凝り固まった肩と首を回していると、部屋に侵入した空良がそそ、とこちらに近寄ってきて、ん、と手を差し出してきた。あ? と空却が空良を見上げると「買い物メモ、持っとるならちょうだい。あとお金も」と空良は言った。
 空厳寺では、食料品や日用雑貨類で入用のものがあれば、うちの冷蔵庫にメモ書きが貼りだされている。在庫管理をしているお庫裏が必要なものを書いて、気がついた人間がそのメモを取って買い出しに行くという流れだ。
 寄付札を書いてから行くことにしていたので、空却はあらかじめメモは持ってきてある。おそらく、空良もここに来る前に冷蔵庫にメモがないことを確認したのだろう。

「必要ねえだろ。拙僧も行くからな」
「え」

 空良の顔があからさまに固まる。「なんだ。俺が行っちゃ悪ィか」「……別に」そう言うと、彼女はぷいっと顔を逸らした。

「同行が不満なら拙僧一人で行ってくるわ。お前は夕飯まで写経しとるか猫とじゃれてろ」
「は? なんで。行かんなんて一言も言っとらんじゃん」

 「十分後、正門前に集合ね」そう言って、空良は風のように部屋を後にする。なんだあいつ。彼女の言動を理解し得ないまま、腑に落ちない空却はなんだかんだで身支度を始めた。
 せっかくこちらから気を利かせたというのに。娘の塩対応に世の父親が肩を落とす気持ちは分からないが、年頃の娘の扱いはまったく理解し難いという意見については、空却も強く同意したいと思う。



 オオス商店街は相変わらずの賑わいを見せている。あと数十分もすればシャッターを下ろす店が目立つだろうが、終わり間際と感じさせないほどの活気に満ちていた。
 空良を連れた空却が向かった先は、連日自転車が多く止まっているスーパー。自分も、幼少期から贔屓にしている店だ。入口付近で空良がカートを引こうとしていたので、「あーいらんいらん。カート引いたら歩き辛ェだろ」と止める。空却はカゴを二つ持ち、懐に入れていたメモを空良に渡した。

「買うもの順に言ってけ。お前の方がどこに何があるかって詳しいだろ」
「ん」

 空良の返事は短いものの、どことなく嬉しさが混じっている。何かを任せたり、何かを頼んだりすると、こういうふうにすぐにご機嫌になる。我が子ながら変わっている。たかだかメモ渡したくらいで何が嬉しいんだか、と思うが、それでも定期的に何かを与えないと不機嫌になるので、程々に調節が必要だ。
 まず、入ってすぐに乳製品のコーナーがある。「牛乳二本とバター一つね」という空良の言葉とともに、空却は綺麗に陳列されている牛乳を見下ろす。昔は一週間に一本あればいいくらいだったが、空良がよく飲むので昔よりかは消費が良くなった。子供の頃、ラッパ飲みをしては灼空に怒鳴られていた頃が懐かしく思う。
 空却は牛乳二パックを掴んで自分が持っているカゴに放る。すると、「消費期限遠いものから買わなかん」と言って、空良が内一本を奥の方から取り出した牛乳と変えた。細かい。期日前に飲んじまうんだからなんでもいいだろ、と思っただけで口には出なかった。
 そして、空良とともにそのまま隣の棚へ足を伸ばす。さっそくバターを吟味し始めた空良は、メーカーの同じパッケージを二つ見比べて、はて、と首を傾げた。

「ねえ、バターってどれだと思う」
「ああ? んなもんどれでもいいんじゃねえの」
「有塩と無塩あるんだけど」

 有塩と無塩、というところで、空良は自身の手に持っているバターをこちらに掲げた。

「メモに書いてねえんか」
「“バター”としか」
「塩が入っとるか入っとらんかで何が違う」
「用途によるでしょ」
「何に使うんだ」
「知らん」

 その場を沈黙が支配する。考えても見つからない答えほど不毛なものはない。空却は溜め息をついて、空良の手の中にある大手メーカー印のバターを一瞥した。

「めんどくせえからどっちも買ってけ。ねえよりあった方がいいだろ」
「たしかに」

 空良は自分の方のカゴに有塩と無塩のバターを二つ入れる。空良が生まれてから……いや、お庫裏が嫁いできてからの台所事情はよく分からない。お彼岸や盆の辺りなどの繁忙期には台所に立つこともあるが、それ以外は全くと言っていいほどない。というのも、檀家さんがいた日には「殿方はお邪魔よ」と台所から追い出されることが多く、空良がお庫裏の手伝いができるようになってからは「父さん邪魔」と厄介者扱いされることが増えたので、それ以降は彼女に一任していた。おそらく灼空も同じだろう。
 続いて、生肉コーナーで鶏もも肉を五パック掴んで、空却は自分のカゴに入れる。「近いうちに唐揚げだね」と横にいる空良が笑顔で言う。おう、と応える自分の口元も緩んでいた。


 その他、冷蔵食品である納豆やキムチなど細々したものを空良のカゴに放っていくと、続いて調味料コーナーにたどり着く。すると、先程まで順調に買い進めていた空良が、再びメモを見て首を傾げた。

「ねえ。油ってサラダ油? ごま油? それともオリーブオイル?」
「それも書いてねえのか」
「うん」
「サラダ油でいいんじゃねえの。とりあえず焦げなきゃいいんだろ」
「でも、餃子とかチャーハンの時はごま油の方が美味しいよ」
「母さん、近々作るっつっとったか」
「知らん」

 デジャブだ。もういっそ電話して聞くか、と思ったところで、「油なんてたくさんあっても腐らんから、ストックで買っていいんじゃない」と空良が言う。それもそうか、と空却は三種類の調理油を躊躇もなくカゴに入れた。
 その向かいの棚には、発酵製品が置いてある。「味噌は一つ」と空良は言うが、一通路半の棚を覆い尽くす味噌を前に、そんな簡単な説明では買うものも買えない。

「空良。赤か白どっちだ」
「“買う人のお好きなほうで”」
「アバウトすぎんだろ」

 まあいいか、と空却が赤味噌に手を伸ばそうとすると、「私は合わせがいい」と空良が言う。いつもなら譲るが、味噌汁は赤味噌しか飲んだ気になれない。しばらく空良と口による攻防戦が続いたものの、結局これも二つ買っていくということで話が終結した。
 空却が二つの味噌を自分のカゴに入れようとすると、横から伸びてきた腕が味噌をぶんどって、もう一つのカゴに入れた。隣を見れば、不機嫌そうに目を鋭くさせた空良がこちらを見上げている。

「こっちに軽いものばっか入れんで」

 ばれたか。「へーへー」と空却が彼女の言葉を軽くあしらうと、横からどすん、とタックルされた。いつもならビクともしないが、牛乳やら油やらを片手に持っているせいでさすがに少しバランスを崩してしまう。よろめいた足を見て、ふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべる空良は、昔の自分によく似ていた。我が子ながらに中々やる。







 会計を済ませると、エコバッグに食料を詰める。日用雑貨も買い足すものはないようなので、あとは帰宅するだけとなった。
 一人一つずつエコバックを肩に提げて、二人でスーパーがあった通りを抜けると、どこからか香ばしい匂いがしてきて、すん、と空却は宙を嗅ぐ。なんか作っとんな、とふと隣を見ると、先程までついてきていた娘がいない。空却が少し後ろに目をやれば、匂いがする方向をじっと凝視している空良が足を止めていた。

「空良」

 呼びかけても、ぴくりともしない空良。足はじりじりとこちらに向かっているが、意識は完全に匂いの方にいっていた。
 ――空良の視線の先にあるのは、一台のワゴン車。いかにも女子供受けしそうなファンシーな外装だ。よくよく見てみると、どうやらメロンパンの移動販売のようだった。それも、パン屋で一個二百円と少しで買えるものとはまた違う、高級そうな品質が立て看板から窺える。ちなみに、メロンパンは空良の好物である。

「あれ、食いてえんか」

 空良に近づいた空却が再度呼びかけると、上の空だった彼女がようやくこちらを向いた。こちらの声に頷きも、首を振ることもしない。唇をむぐむぐとさせて、何をどう言おうかと迷っているようだった。
 空良の昼ご飯はお庫裏が作った弁当に加えて、購買で買ったメロンパンを毎日食べていると聞く。好物とはそういうものだ。自分も学校帰りのコンビニで唐揚げ棒があったら買っていたので気持ちは分かる。

「……夕飯残さねえって約束すんなら、一個買ってやるが」
「いいのっ?」

 途端に、空良の目がきらきらと輝く。食い物のことになると途端に素直になるところは、まだまだ子供らしい。
 少しばかり長い列に並んで、空良は立て看板にあるメニューをじっと見る。メロンパンと一言で言っても、生クリームやらカスタードクリームやらフルーツが入っていたりとアレンジが施されているらしい。自分達の番になると、空良は一番人気と謳っている普通のメロンパンを頼んだ。他のやつじゃなくていいんか、と尋ねたところ、「生クリーム入っとるやつは邪道」と空良は小声で言った。
 空良が店員からメロンパンを受け取ると、通行の邪魔にならないように二人で道の端に移動する。空却が空良が持っていたマイバッグを取ろうとすると案の定すっと避けられたので、「片手塞がってたら食べ辛ェだろ」と言えば、彼女は渋々マイバッグを寄越した。まったく、世話の焼ける娘なことで。
 メロンパンは焼きたてらしく、ほんの少し湯気が立っている。包装紙からさかさとメロンパンを出すと、香ばしい匂いが周り一面にさらに広がった。

「ありがと」
「母さんには黙っとけよ」
「うん」

 すぐに食べるかと思いきや、空良はメロンパンを半分に千切って「ん」とこちらに差し出した。

「拙僧はいらねえよ。お前が全部食え」
「全部食べたら夕ご飯入らんくなるから」

 ……まあ、確かに。一考した空却は、「んじゃあ、有難く」とマイバッグを両肩にかけて、開いた手で渡されたメロンパンの片割れを持つ。ふわふわの中生地からは淡い湯気が立っており、歯を立てると、さくっと香ばしい外生地が出迎えた。バターの芳醇な味と甘みが舌の上で踊る。メロンパンなど久々に食べたが、これは中々だ。特段メロンパンが好物でもない空却でも早々と口が進む。

「……ん、うめぇな」
「これで共犯だね」
「お前な……」

 ふふ、と空良はいたずらっぽく笑う。それからの彼女は言葉もなくメロンパンをぱくぱくと頬張っている。少し俯いていて表情は分かりづらいが、おそらくは満面の笑顔だ。父親に似ているとばかり他人からは言われるが、こういう……顔にすぐ出るところは母親に似ていると思う。昔よりかはそういう機会もだいぶ減ったが、まだ齢十四の女子。歳を重ねるにつれて、今までとは違う新たな一面も出てくるだろう。
 ……近いうちに、また来るか。移動販売の期間が書いてある看板を見ながら、空却は最後の一口を放る。娘が笑顔になる理由がこの身で分かるというのも、存外嬉しいものだと思った。