Episode.9



 タイミングが悪かった。左馬刻はそう言い訳をした。
 年末、互いに不可侵を約束した馴染み深い組の頭が一斉に集まる会合。例えば、不測の事態が起きて、内一組の頭が潰れる事態になるとする。派閥はさらに分割し、波乱の年越しが幕を開けることになっていただろう。いつ寝首を掻かれるか分かったものではない隣人の死を望む者がいないとは言い難いが、少なくとも、年初めのこのめでたい日に、そんな嵐を巻き起こそうなどという狂人はいないだろうというのが、それぞれの組の見解だった。
 さて、その会合に若頭として出席せざるを得なかった左馬刻。本来であれば名ばかりの護衛の一人や二人付き従えるところだが、ほとんどの下の者は退紅の護衛に回っていた。何かあっても自衛できるが、やはり外見だけでも重要である。今年最後くらい締めていくかと、左馬刻は手隙であろう理鶯に護衛を依頼した。屈強な肉体と戦車の弾丸にも匹敵する戦闘力。一人で部下十人分のスキルを賄えるであろう彼は、左馬刻からの依頼をひとつ返事で承諾した。


 ――そして、左馬刻の一縷の杞憂も終わり、会合は滞りなく終えた。しかし、役目を果たした左馬刻は、事務所に併設されたキッチンで湯を沸かしながらこうも思っていた。

「(“そういうこと”があったんなら前もって言っとけや……。なんで断んねえんだよ。……いや、依頼した俺が言うのもなんだけどよ)」

 左馬刻は何も知らなかった。
 会合終わりに、わざわざ年の瀬に街に出てきてもらって一役買ってくれた理鶯に酒を奢った。それから一瓶二瓶と次々に空にしていったところで、なんなら銃兎も誘おうかという話になり、ちょうど仕事を納めたらしい彼を事務所に呼んだのだ。
 程よいくらいに気持ちよく酔いが回ってきた頃。小綺麗なネクタイをテーブルに置いて完全にオフの姿になった銃兎が、やれやれ、と言わんばかりに肩を竦めてこう言った。

「あなたも、大概空気の読めない男ですねえ」
「なにがだよ」
「理鶯ですよ。年を跨いで護衛任務に当たらせていたんでしょう」
「別にいいだろうが。何が問題なんだよ」

 話の核が見えない会話は嫌いだ。苛立ちを含ませながら左馬刻が銃兎を睨むと、彼はすらりと長い小指をぴんと立てた。

「……は?」
「そういうことですよ」
「相手は」
「以前、あなたが持ってきた案件で巻き込まれた中国人です。ほら、理鶯と昔馴染みとかいった、例の彼女」
「あー……。うちにふざけたもん送りつけやがった奴か」
「このあいだ、理鶯に会いたいと願い出てきましてね。私の部下に森まで案内させたら、朝方、眠った彼女を横抱きにした理鶯が車まで送り届けたそうです」

 それならそうと早く言ってくれれば年末くらい空けさせたっつーの! 左馬刻は戻せない時間と情報提供が遅すぎる銃兎に憤りを覚えた。


 ――時を戻そう。MTCの酒盛りの夜は明け、一足先に目覚めた理鶯は自主筋トレを、銃兎は起きたその足で浴室を占拠した。最後に起きた左馬刻はというと、目覚めの一杯としてチームメイト達に珈琲を淹れようとキッチンカウンターに立っていた。
 あの生真面目な銃兎が小指を立てるくらいだ。朝に帰らせた女と理鶯が何もなかったわけではないだろう。
 そもそも、“手をつけない”理由がない。彼女のことを昔馴染みだと言った理鶯の目には、確かな情愛が含まれていた。昔の女か、はたまた一方通行の恋を拗らせていたのか……どちらにしろ、左馬刻の目から見ても、早く落ち着くところに落ち着いてしまえ、と野次を入れたくなるくらいもどかしい関係だった。
 左馬刻は沸騰した湯を愛用しているコーヒーメーカーに注ぐ。濾過を待つ間、先ほど窓の外から入ってきた鳥が運んできた紙を読んで、顔を綻ばせている理鶯を盗み見る。今時文通なんてアナログな。もっとなんかこう……色々あんだろうがよ。左馬刻は三つ上とは思えない大男に哀れみすら覚えた。
 
「……女か」

 唇の先を使って、左馬刻はぽつりと言葉を落とす。ただでさえ静かな部屋だ。朝方となると空気も洗練されて、左馬刻の小声ですら彼の元へ一寸違わず届けた。
 秒を数える間もない。理鶯はすっと顔を上げた。

「ああ」
「そんなんでやり取りするより、直接会った方が早えんじゃねえか」
「小官が街に出れば、一般人の注目を浴びる可能性がある。となると、近くにいる彼女にも迷惑がかかるだろう」

 紳士なことだ。左馬刻は濾過の終えた珈琲をカップに均等に注ぐ。砂糖もミルクも一切入れない、苦味と酸味の強いブラック。それでも、理鶯は顔色一つ崩さずそれを口にして、「相変わらず美味いな」とだけ零した。
 左馬刻は黒革のソファーに腰を落ち着かせて、カップを傾ける。元来、あまり豊かとはいえない語彙を引っ張り出しながら、当たり障りのない言葉を選んで、彼との会話を促した。

「あー……理鶯」
「なんだ」
「今からなら、まだ間に合うんじゃねえか」

 防御など煩わしい、攻撃一閃がお手の物である左馬刻からすれば、このような外堀から埋めていくスタイルはひどく稀な事だ。しかし、今日は実にめでたい元旦。こんなイレギュラーがあってもいいだろう。
 左馬刻がそう言っても、理鶯は腑に落ちない顔をするばかり。詳細を求む、と薄青の瞳はこちらに訴えていた。

「ほら……別によ、格式高い神社とか行かなくても、外人同士、日本での楽しみ方っつーもんがあんだろうが」
「楽しみ方?」
「左馬刻なりに、あなたに気を利かせているんですよ。理鶯」

 入浴を終えた銃兎が会話に加わる。髪をタオルドライしながら、目配せで左馬刻に珈琲を強請る。その前に、すでに左馬刻の手はカウンターに余っていたカップを表に返していた。
 つか、元はと言えばてめえが昨日までだんまり決めこんでたからじゃねえか。クソが、と左馬刻は心の中で銃兎に悪態をつく。四割真実、残りは小学生レベルの八つ当たりである。

「すまないが、いっこうに話が見えない。左馬刻は小官に何の気を利かせているのだろうか」
「だから、そのー……あれだよ。年初めくらい、てめえのもんにできた女と過ごしてもいいんじゃねえかって言ってんだ」
「街中には人が溢れかえっていますが、植物園や水族館などといった施設は比較的空いていますからね。理鶯が望むなら、シブヤまでの足くらいにはなりますよ」

 そうだ銃兎。もっと言ってやれ。僧侶もドン引くような幼児心を持ったハーフの軍人に、女との付き合い方を教えてやれ。銃兎の前にカップを置いた左馬刻は心の中でエールを送った。
 左馬刻がこつこつと築いてきた包囲網は壊してしまったが、こういうものには適材適所というものがある。左馬刻にはやはりこういう役は不向きだ。男女のアプローチを嫌味なく教授できるのは、左馬刻の周りではこの男くらいだろう。
 ようやく合点のいったらしい理鶯は、鳥の頭を撫でながら「いや……」と首を僅かに横に降った。

「シブヤに行く必要はない。はルームメイトと年越しをすると、今しがた報告があった」
「はあ? おいおい。こんな色男放ってダチと年越すってか」
「左馬刻のような美男に褒められると、悪い気はしないな」

 「ああ、そういえば」理鶯が思い出したように銃兎に目を配った。

「銃兎の部下にも礼を言わなければならない。このあいだ、朝方まで麓で待ってくれていたおかげで、彼女を家に送り届けることができた」
「ええ。うちのも、夜間パトロールのついででしたからね。何の問題ありませんよ」
「朝方、ねえ……」

 左馬刻と銃兎がアイコンタクトをする。これは間違いなく黒だろう、と。
 くく、と左馬刻が喉の奥で笑うと、「左馬刻、どうかしたのか」とさっそく理鶯が食いついた。

「ああ、悪ぃ。お前も男だったんだなって思ってよ」
「小官は生まれた時から男児だが」

 的外れの返答も今は可愛いものだ。浮いた話の一つや二つ舞い込んできてもおかしくないくらいの高スペックの持ち主。悪い女が寄り付かないように左馬刻と銃兎で、あれこれ裏で手を回していたが、それも去年までの話になりそうだ。
 手塩にかけて現代社会に慣れさせたエルフが、ようやく自身の番を見つけたようなもの。男にとっては生き辛い国だが、その中で小さな幸せを摘み取って、是非とも豊かな生活を送ってほしいものだった。

「本来であれば夜のうちに帰したかったのだが……話をしている途中で彼女が眠ってしまってな」
「は?」
「朝は夜よりも冷えこむ。女性の体では冬の森の寒気は堪えるだろうと思ったのだが、小官も欲が出てしまった。まさか、朝日が昇るまで彼女を手放せなかったとは――」
「おい待て理鶯。ちょっと待て」

 珈琲を啜る理鶯の顔は至極反省の色に染まっている。おまけに、「訓練は欠かさず行っているが、やはり軍にいた頃より精神的に弛んでいるようだ。不甲斐ない」などというものだから、左馬刻は心の中で全力で否定する。お前が気にするところはそこじゃねえ、と。ここで初めて、左馬刻は理鶯と一方通行の会話をしていることを知った。
 銃兎もまた、煙草に火をつけようとした手がぴたりと止まっている。「あー……」と何かを察した彼を他所に、左馬刻は前のめりになって理鶯に問う。

「お前……その女と夜通しで何してたんだ?」
「語るほどのことは何も。気持ち良さそうに眠っているを抱いたくらいだ」
「理鶯、それは……その、どちらの意味で?」
「どちらの意味とは?」

 はて、と首を傾げる理鶯。黒から限りなく白に近いグレーへ変わった瞬間だった。

「以前よりも肉付きが良くなっていてとても柔らかく、危うく癖になるところだった」
「んな中坊みたいな感想求めてねえんだよ」
「軍属という名の出家にでも行っていたんですかあなたは」

 ひどい言われようである。しかしどうか責めないでほしい。二人は理鶯の健全すぎるメンタルが心配しているだけなのである。
 嘘偽りなく、理鶯はに何もしていない。意中の女を目の前にするも、その腕の中に抱いただけで、朝になったら一点の穢れもなく彼女を家に帰したと言う。そう話す理鶯はどこか浮ついているが、こちらとしては惚気にもならない話で呆れてしまう。小学生の恋愛相談でも受けているようだった。
 時は夜更け。それも、女自ら自分に会いに来た――そんな究極の環境で添い寝をしただけとは。この男の精神力はどうなっているのか。同じ男ながら畏敬の念を抱く他なかった。

「理鶯は、懇意の女性と想いを通じ合わせたのではないのですか?」
「込み入った話はしたが、前提としては軍人を嫌っているからな。彼女の価値観が変わらない限り、お互いが相容れることはないだろう」

 きっぱりと言い放つ理鶯の意思は固かった。二人が言葉をなくす中、彼は続けてこう言う。

「小官も、いつかはこの国を離れなければならない。彼女も、生涯添い遂げたいと思う者と共に生きる日が来るだろう」
「てめえはそれでいいのかよ」
「彼女にも同じようなことを言われたな」

 そりゃそうだろうよ。離しがたいと分かっていて、その繋がりを深いものにしない男がどこにいる。
 冷めてしまった珈琲も気にならないくらい、左馬刻はこの不可思議な二人の関係性が理解出来ないでいた。親愛よりも深い情なのにも関わらず、恋人にしては互いの心が遠すぎる。それを受容している二人も、また変わり者というかなんというか。
 でもまあ……理鶯がそう言うのなら、別にいい。そう思ってしまうお人好しな自分も、少なからずいるわけで。

「しかし、小官も聖人ではないのですべてを許容できるわけではない」
「あー……それ聞いてちったぁ安心したわ」
「生半可な男では彼女のことを任せられないからな」
「は?」
「時が来れば、彼女の許可を得てその男に一目会いたいと思っている」
「あの……理鶯?」
「左馬刻や銃兎のような人間ならば、彼女を任せるに足りるが……そのような男はこの国には中々いないだろうな」

 理鶯は彼女からの手紙を愛おしそうに一瞥した後、胸ポケットにそれを丁寧に仕舞う。役目を終えた鳥は理鶯の肩を宿り木にして、その羽を休め始めた。
 いない、というわりには、理鶯はとても嬉しそうに見える。おそらく無意識なのだろうが、ただでさえ野生児な彼のことだ。競争相手ができたとしても、本能的に惹かれた雌をみすみす逃がす男ではないだろう。
 なにが添い遂げるものと生きる、だ。手放す気も他の奴に渡す気もさらさらねえじゃねえか。思考が合致した左馬刻と銃兎はお互いに視線を合わせ、同時にため息を吐く。今年もこの男から目が離せそうにないな、と。







 一度目と二度目は心がついていかず、体だけ風習にあやかっただけだったが、三度目の年越しは一味違った。今年のは日本の文化を肌で感じ、我が物顔でこの国の民として新年を迎え入れることができたのだった。
 同居人が作ってくれた年越し蕎麦を食べ、リビングで歌番組を見ながら、二人で声を合わせてカウントダウン。新年を迎え入れた祝福と同時に、同居人と一緒に深々と例を述べた。あけましておめでとう。今年も、どうかよろしく。
 元旦の早朝は、近所の神社に詣でるのが彼女との恒例行事だった。こたつで意識をなくした同居人をゆさゆさと揺すり起こし、ばたばたと慌てて浴室に籠った彼女を見送った後、はその間に身支度を整えていく。
 朝日は、まだ昇っていない。

「……早上好おはよう

 そんな中、今年はやる事がひとつ増えた。
 はカーテンレールに引っ掛けた鳥籠の前に立つ。籠の鍵を開けて、今年最初の便りを入れた容器を、鳥の脚に括りつけた。そういえば、調べたところこの鳥は雄のようで、最近では同居人が自らが付けた名前でこの鳥を呼ぶようになった。発音が難しいので、が呼ぶにはまだ先の話になるのだが。
 が手を伸ばせば、鳥はちょんちょんと跳ねながら、の手の甲に乗る。そのまま窓際に歩いて窓を開ければ、彼は大きな翼を広げて、新年の空に飛び立っていった。
 うっすらと光の差した朝日に向かって羽ばたいた彼の姿はとても凛々しく、まるで自由という言葉を象ったかみさまのようだった。



「ひゃ~っ。やっぱり年明けの朝は冷えるねえ」

 寒い寒い、とネックウォーマーに顔を埋めている同居人の隣で、も首に巻いたマフラーを手繰り寄せ、口元までくいっと引き上げた。
 歩くたびに白い息が舞う。道行く人もいつもより多い。家族連れやカップル、そして子供だけのグループがよく目立つ。遠くから笛の音が聞こえて、心なしか気分が高まる。この国の文化に馴染むばかりのも、年を重ねるごとに身の引き締まる思いだった。

「でも、本当によかったの?」

 隣を歩いていた同居人が不意にそんなことを言うものだから、心当たりのないは数回瞬きをした。

「よかった、って?」
「今年は毒島さんと一緒じゃなくてよかったのかなーって」
「どうして?」
「どうしてって……。ええっと……」

 言葉を探している同居人の意図が汲めないが、手紙に書かれていた内容を思い出して、は口を開いた。

「リオは、年末から年初めにかけて仕事があるって言っていたの」
「お仕事? どういうの?」
「……護衛、みたいな」
「護衛? うーん……警備員みたいなものかなあ。毒島さん、強そうだもんねえ」

 同居人が鈍感でよかった。手紙の内容にはその二文字しか記載がなかったが、も裏社会に片足をつっこんでいたようなもの――どんな“護衛”かはおおよそ察した。
 も、先程の手紙に年越しはどう過ごすかを綴らせてもらった。どんな内容であれ、そうか、と穏やかに笑む彼の顔が容易く浮かんだ。

「それに……」
「それに?」
「年越しは、家族と過ごすもの。彼も、年の初めは静かに過ごしたいと思ってるでしょう」
「そうかなあ?」
「そう……だと思う」

 そもそも、芸もなにも出来ない女と一緒にいてもつまらないだろう。こんなことを言ったら理鶯は怒るだろうが、こちらだって思うことはある。口には出さないが思想の自由くらいは許してほしい。
 彼には彼なりの都合もあるだろう。例えば……その場にがいたら困るようなこと、とか。

「毒島さん、さんが思ってる以上にさんのこと大好きだと思うけどなあ」
「そう……?」
「そうだよ~」

 同居人と堂々巡りになっても、の思いはたった一つだった。

「今は、会いたいと思った時に会えるから……平気」

 電車の乗り方も、言葉の使い方も、森までの道のりも……すべて分かる。会いに行ける足も、心も、今は全部自分のものだから。怖いものは、何もない。
 がそう言うと、彼女はにんまりと笑った。そんなに面白いことは言っていないはずだが。

「どうかしたの」
「えへへ。なんでもないよ~! あっ、甘酒発見! さんっ、飲も飲も~っ」

 鳥居をくぐるなり、手を引っ張られて早く早くと連れていかれる。毎年のように、お参りより食に目が眩む彼女を諭しながら、は今年の抱負を神様に祈ろうと思った。


 理不尽な環境によって羽を折られた鳥は、もういない。一人で広大な海を渡れるくらい大きな翼を得たは、その愛しき羽を広げながら、今日も薄青の空の下で自由を謳歌するのだった。