Episode.1



 地面を殴りつけるような豪雨が暗空を切っている。
 虫の死骸の棺桶と化した泥水のにおいに、嗅覚がそろそろ業を煮やそうとしている。口で酸素を取り込もうにも、口内には所々切り傷があって、一度開けば雨風に沁みてしまうと思った。
 溢れた唾液とともに、喉に絡んだ血塊をごくりと飲み込む。乾いた紙を破くような激しい雨音。それに混じって聞こえる布擦れと荒い息の音に、理鶯は残り僅かになった意識の欠片で誰かの存在を認知する。左腕が徐々に圧迫されていく感覚。目の前は一面黒い靄が広がるばかりで、自分が今されていることはおろか、帰る道すらまともに分からなくなっていた。


 ――ふと、半分眠っていた意識を掬いあげる。錨のような瞼を持ち上げて、視神経を焼くような強い光に、思わず理鶯は開いたばかりの目をぎゅ、と細めた。靄が取り払われたそこには、理鶯のよく知る朝があった。においも、音も……昨夜の雨にすべてかっ攫われていったらしく、清涼な空気の味がする。まるで、生まれたばかりの世界のようだった。
 朝日が、生命活動を頻りに急かす。体の機能が順番に目覚めていくのを感知しつつも、負傷した左腕だけは石のように固くなっていて、指の先すら動かせなかった。そして、一回り大きく膨れ上がった前腕を固定するように、添え木とともに丁寧に巻かれた紐。明暗だけではなく色彩も分かるようになってから、元々の白が寂れたのか、それは胡粉色に似たものだと分かった。
 理鶯は濡れぼそった地面に視線を落とす。体を巡っていたであろう自身の血が、雨と一緒に数メートル前方まで流れていて、油水の色をした小さな川をつくっている。雨の音より、自ら流れている血のにおいより、左腕に迸る痛みより……朦朧とした意識は、時折触れていた肉の感触を覚えていた。よって、今まで五感が悲惨に訴えていたことは、夢じゃない。本能という名の相棒は、半昏睡状態だった理鶯の代わりに現実を示唆してくれていた。
 理鶯は鼻先を左腕に巻かれた紐に近づけ、すん、と一度嗅ぐ。つんとする雨の湿気た匂いの奥で、少し埃臭い。それでいて、鼻腔をやさしく擽るようなにおいが香った。そして、不意に、どこか懐かしい気分になる異郷が垣間見えて、目覚めたばかりの理鶯の胸が、静かにさざ波を打ち始める。一面に、褪せた色の荒野が広がっていて、そこで佇んでいるのは、名前も、声も知らない誰かの背中。触れたら、その肉の柔らかさと温もりが、昨夜の誰かと一本の糸で繋がっている気がした。
 波が打ち寄せては、だんだん潮が満たされていくこの情動は、一体なんだろう。理鶯は、静かに目を閉じる。暫く、その夢世界でゆったりと呼吸をしながら、そのつたなくも曖昧な幻影に手を伸ばしていた。







 毒島メイソン理鶯という男は、素行の良い軍人だった。
 上官の命令には素直に応じ、感情よりも規律を重んじる、まさに軍人の模範。強硬な肉体と屈強な精神力を評価されて、周りからの信頼も厚く、軍全体としても彼の存在は相応以上に重宝されていた。
 そんな理鶯が、上官に届け出も出さず朝帰り、加えて左手をギプスのように固定して帰ってきた時、船内は文字通り騒然とした。女を買ったついでに恨みも買ったか、と仲間に茶化されながら、理鶯は直属の上官に名指しで呼ばれた。普通ならば予期できぬ展開に体を萎縮させるところだが、彼の背筋は不安げに曲がることなく、木の棒でも入っているのかと錯覚するほどぴん、と真っ直ぐ伸びていた。

 夜間巡回の途中、駐屯している陸軍の複数人に暴行を受け、朝まで気を失っていた、というのが理鶯の言い分である。たしかに、この町に他国の陸軍基地があることは船内の者にも周知されていたことであったし、素行的な意味であまり良い噂を聞かない組織だったので、この町に滞在する前に、変に揉め事は起こさないようにと事前に注意喚起もされていた。よって、今まで軍に忠誠を誓ってきた理鶯を知るその上官は、それ以上の経緯を追及することなく、今回の件はほぼ不問という扱いになった。その上官だけではなく、仕様のない理由で有能な理鶯を罰する者は誰もいなかったのだ。
 かと言って、対複数人とはいえ、同じ軍人でありながら腕を負傷したことの罰は別途ということで、理鶯はしばらく通常任務から外されることになった。代わりに言い渡されたのは、約二週間に及ぶ療養と給仕当番。褒美ではないだろうか、とも思うも、上官の命令下ではたとえ白のものでも上官が黒と言えば黒と答える。理鶯はもちろん是と応えた。

 さて、そんな理鶯は町中の市場にいた。さすがは港町といったところか、辺りは潮の香りが充満しており、どこの出店も血気盛んに繁盛している。呼び込みの声が戦地の弾丸のように四方八方飛び交う中、理鶯は人を掻き分けて奥へ奥へと進んでいく。

「そこの軍人さん!」

 ふと、耳馴染みのない言語で声をかけられる。一度足を止めてから、理鶯は声のする方へゆっくりと首を傾けた。すると、海苔を片手におおい、と手を振る小太りの男が映り、彼はたしかに理鶯をその目に捉えていた。海苔は腹が膨れない上に単価が高いから必要ないな、と頭の隅っこで思い浮かべつつ、理鶯は自分よりも頭四つ分低い彼を見下ろした。

「そっちに何しに行くか知らねえが、こっから東には進まねえ方がいい。人種はごちゃまぜで国籍がない奴がほとんど。おかげで無法者もわんさかだ」

 「女が欲しいってなら、話は別だがな」男は高さの揃っていない歯を見せながら、そんな軽口をたたく。理鶯は表情を変えず、男の言葉を頭の中で何度か巡回させる。無法者がわんさかいるといる情報だけでは、自身の進む道の障害にはなりえない。
 うん。理鶯は男に向かってひとつ頷いた後、ここに着船する前に付け焼き刃で習得したこの国の言語を紡いだ。

「助言、感謝する。ところで、これの持ち主を探しているのだが」

 理鶯は懐から一本の紐を取り出すも、男は目やにの詰まった丸い目を三日月に細める。そして、「お気に召した娼婦のものかい?」と彼は下品に口を大きく開け、今にも取れそうな歯を揺らしながらげらげらと笑い出したのだった。







 そこは、空間が歪んだように道が複雑に入り組んでいた。蚯蚓状に細くうねっており、いっこうに出口が見えない。文化の差か、建物の色も作りも今まで見てきた国とは随分違うように見えた。コンクリートやレンガというより、どちらかというと、簡易的に枝を組んでその間を土で固められたような荒屋ばかりが目立つ。理鶯よりも背の高い垣根も、それと同じような造りだった。
 理鶯の足は一度も方向転換をせず、ただ、意識だけは時々左右に伸びる道へと向いていた。あれから、何とか会話を成立させた市場の男の話によると、理鶯が持つそれは、ここ一帯に住みついている娼婦らの腰紐の類らしく、この時間ならばこの地区の至る所で男に買われているだろうとのこと。
 まるで、蟻の巣の中を歩いているようだ。せめて何か気配の一つでもあれば、と思っていると、一つ奥の右小路から怒鳴り声が聞こえる。紛争か、と思うも、聞こえるのはたった一つ……男の野太い音だけだ。一定の間隔を空けながら、言葉とは判別しづらい獣声を頻りに叫んでいる。
 警戒心が半分と、好奇心が半分。理鶯は声のする方へ歩を進めていく。生臭いような汚臭が漂ってくるも、彼の足の歩幅は変わらなかった。右の路地を覗くと、下半身を露出した男が一人と、彼と壁に挟まれる形で地面に座り込んでいる一人の女がいた。
 理鶯はその一点を風景として映す。前後に動く女の頭部と、それを両手で押さえつける男。時折女の頭を叩いたり、彼女の長い髪を引っ張ったりしながら、男は彼女に口淫を強いている。そして、一際大きく男が天に向かって喘いだのを最後に、耳にこびりつくような粘着音は止んだ。
 どれだけ異様な光景でも、理鶯は微動だにしない。今にも途絶えてしまいそうな女の呼吸音を、やはり背景音楽のように右から左へと流していた。しばらく女の前に呆然と立っていた男は、薄汚れた穿き物を身につけて、理鶯とは反対方向に伸びた道を歩いていく。ぽつん、と捨て置きされた女。男が去ってから頻繁に乾いた咳をして、今にもその口から血塊でも吐きそうだった。加えて、膝が笑っているのか腰が抜けたのか、その場から立ち上がれないようで、壁を手で伝いながら地面に足を立てようとするも、すぐに膝から崩れ落ちている。
 ぱちん、と意識が覚める。理鶯は初めて路地に侵入して、その女の前に膝を折った。

「……大丈夫か」

 見れば、その女は胡粉色の韓服を纏っている。そして、その腰紐も理鶯が持っているものと同じ色。俯いた女の顔からは白い液体が地面に向かって糸を引いており、やはり、と理鶯は冷静に合点がいった。
 女は嵐を受けたように乱れた髪で顔を隠さんと、深く俯いて、ぶるぶると体を震わせている。さっきの男に乱暴にされた名残だろうと、理鶯はあまり刺激しないようにとなるべく温和に話しかけた。

「安心しろ。小官は貴女に危害を与えるつもりはない。一つ尋ねたいことが――」
「そこの軍人様」

 今日は、やけに人に呼ばれる日だ。声のする方を振り向くと、さきほど理鶯が入ってきた道から、また一人、女が立っていた。彼女もまた、座り込んでいる女と同じ色の韓服を身につけている。
 その女は、堂々とした足取りで理鶯の横を通り過ぎ、恐怖を纏っている彼女に近づいて、耳元で何か囁いた。すると、震えていた彼女は首を小さく縦に振り、生まれたばかりの子鹿のような足取りで路地から去ってしまった。
 理鶯は彼女を反射的に目で追うが、その視界には今さっき現れたばかりの女が立ち塞がる。まるで通せんぼうをするかのように、その華奢な体が壁になった。

「小官は彼女に用があったのだが」
「あなた方に喉を潰されてから、あの子は口が利けません。お相手には不足かと」

 女は口調こそ丁寧だったが、毒針のようなものでちくちくとつつかれているような気分になった。受け答えた内容も噛み合っていないようで、理鶯はどことなく違和感を覚える。
 しかし、ひとまずさっきの女は口が聞けないという事実を飲み込んだ理鶯。それでは聞くものも聞けないと途方に暮れると、「私でよろしければお相手いたします」と意外にも女が自ら名乗り出た。少しだけ警戒心はあったものの、見知らぬ地で親切心を目の前に差し出されて、その手を振り払うほど理鶯はひねくれてはいない。
 「そうか。それはよかった」さっそく理鶯は懐に手を入れて、ものを見せながら用件を伝えようと口を開く。しかし、彼女がひそやかな仕草でしっ、と唇の前で指を一本立てたので、それも止めざるを得なかった。

「ここよりも、もっと良い場所がございます。私が案内しますのでついてきてください」
「小官はここでも一向に構わないが」
「そう仰らずに。こんな湿気た場所では雰囲気も何もございません」

 一つ尋ねたいことがあるだけなのに、雰囲気だとか、そんなものは必要だろうか。理鶯はふむ、と首を捻るが、郷に入っては郷に従えともいう。理鶯はいまいち理解し兼ねる女の言葉に小さく頷いた。そして、歩き出した女の後ろを、二歩ほど下がった場所からついて行く理鶯。
 ふと、彼女の足元を見ると、昨日の雨のせいか、女の履物は泥に浸したあとのようにひどく汚れていた。


 しばらく歩くと、小屋の前に着く。稲の穂で纏めた枝をいくつも束にして集めただけのあばら家だ。女に先を通されて、理鶯は屈みながらその中に体を潜らせる。言わずもがな、ひどく狭い。床面積は大人二人が横になれるかどうか。高さも、理鶯が中腰にならなければ頭で天井を突き破りそうだった。地面には申し訳程度の藁が敷き詰められており、まるで、寝るためだけに存在しているような空間だ。
 こんな狭い場所にわざわざ呼び出した意味とは。理鶯が女のいる背後に意識を傾けると、突如襲ったのはピリッ、と頬を焼くような気配。理鶯は振り向き際に自由の利く右手ですぐさま女の手首を捻った。

「っ、い゙ッ……っ!!」

 女が苦痛の音を上げようが構わなかった。理鶯は彼女の体をそのまま床に押し倒す。いくら片腕のハンデがあるとはいえ、男女の差に加えて軍人と娼婦では同じ土俵に立つことさえできない。女の手に握られているのは鋭利な鎌。あのまま気づかなければ、後頭部を切りつけられて即死だっただろう。
 理鶯は、暴れる女の両手首を拘束して、足のつま先で彼女の脛を固める。ちょうど女の下腹部に馬乗りになると、彼女は平均成人男性以上はあるであろう理鶯の体重に、苦しそうな顔で悶え始めた。それでも、足や手の腱は終始ぴきぴきと痙攣している。無駄だと分かっているだろうに、理鶯に抵抗の意を示していた。

「どういうつもりだ」

 こちらの用件を聞いてくれるのではなかったのかという意味を含めて、理鶯は純粋に問う。しかし、「離せ人殺し……ッ!!」と鬼のように叫ぶ女は、先ほど見た穏やかな彼女ではなかった。今まさに、そうなろうとしたのはそちらだというのに。

「落ち着け。小官は尋ねたいことがあるだけだ」
「陸軍に話すことなんてありません」
「一つ誤解があるようだが、小官は海軍だ。陸のことは分からない」
「軍に属している人間なんて皆同じでしょう」

 話している間にも、女は身をよじって拘束から抜け出そうとする。吐き捨てるように言った鋭利な言葉から、普通の意思疎通は困難だと理鶯は判断した。女の過去に陸軍と何かあったと推測するも、やはりどう考えても初めて彼女と会う理鶯には無関係なことだった。

「なるべく穏便に済ませたかったが、こちらも時間が限られている。貴女に敵対意志があるのなら、小官も策を講じなければならない」
「仲間に言いふらそうが今ここで凌辱しようがお好きにどうぞ。今更辱めを受けても痛くも痒くもありません。せいぜい、生意気な娼婦にまんまと嵌められたと仲間内で笑い者になればいい」

 女は断固たる響きで言い切る。これは、文化の差というより人としての価値観の相違に過ぎないかもしれない。やはり、女との対話が成立する気配がないので、理鶯は半ば押し付ける形で話を始めた。

「人を探している。先日、危ないところを助けてもらったので礼がしたいのだが、その手がかりが貴女のしているような腰紐しかない」
「……礼?」

 女は訝しげに眉を顰める。何か変なことを言ったつもりはないが、彼女は抵抗していた力をふっ、と緩めて、「報復の間違いでは?」と地を這う声で言う。理鶯は首を傾げた。

「なぜそんなことをする必要がある。その者が腕に紐を巻いてくれなければ、出血多量で生命の危機だった。恩人といっても過言ではない」
「ここにいる娼婦は、陸軍の辱めに遭っている者が殆どです。殺したいとは思っても、わざわざ助ける物好きなどおりません」
「しかし、現に小官は助けられた」
「あなたが見た夢では?」
「それは有り得ない。断言しよう」

 あの夜、たしかに理鶯は誰かの介抱を受けた。未だに、触れられた場所にその肉の感触が残っている。しかし、そんな目に見えない都合を知るよしもない女は、苛立ちげに理鶯をきッと睨んだ。まるで刃の切っ先のようで、一切容赦がない。ひとたび触れればすぐさま斬りつけられそうだ。
 しかし、理鶯にとってはようやく掴んだ手がかり。ここで易々と見過ごすわけにいかなかった。

「貴女も娼婦ならば、知り合いもいるのではないか」
「あいにく、お互いに自分のことで精一杯ですから。たまに情報交換をするだけで、名前はおろか顔すら覚えていません」
「なら、先ほどの彼女を庇ったのはなぜだ。あの時、小官の目には彼女を逃がしたように見えたが」

 口が出しゃばる割には、彼女はとても人間らしい女だ。ついに刃のような目から敵意がなくなると、理鶯は女から体を退く。自由になった女はすぐさま飛び起きて、空間の端に体をぎゅ、と縮こませた。彼女の警戒心が、皮膚を焼くようにひしひしと伝わってくる。

「……あなたが不躾にここ一帯をうろつくと、他の男が寄り付かなくなって彼女らの商売になりません。かと言って、私もこんなことで命を投げたくありませんので」
「小官は貴女を殺すつもりはないのだが」
「口ではなんとでも言えます。あなたを助けたというその女、私が代わりに探して言伝くらいは引き受けましょう」
「それは駄目だ。小官が直接言わなければ意味がない」
「あなた……頑固者にも程がありますよ」

 しかし、女の言い分も最もだと、内なる理性が囁く。理鶯に与えられた期間は最長二週間。ここを出港する日は未定なので、実際、残された時間が短縮される可能性も高い。正直なところ、理鶯は焦っていた。

「持ち主の気持ちを無下にすることはできない。どうか、小官の人探しに協力してくれないだろうか」
 
 狭い空間の中で、理鶯は女に向かって頭を下げる。さっきの鎌で項を狙われることも考慮しつつ、その心は女への懇請の意を唱えていた。すると、過剰なくらい息を呑む音が聞こえて、「あなた……なにを考えてるんですか……?」と女の震えた声が落ちてきた。

「軍人が、奴婢に頭を下げるなんて……前代未聞ですよ……」
「小官は、この国の身分制度をよく知らない。しかし、軍人だろうと奴婢だろうと、元を辿れば我々は同じ海から生まれた命。そこに優劣などない」

 「それに、人にものを頼む時、相応の誠意を見せることは常識だ」理鶯は不格好に地面に敷かれた藁から目を離さなかった。土地勘がない理鶯にとっては、この町をよく知る人間に協力を仰げるのなら、この頭も軽いくらいだ。
 しばらくぴくりとも動かなかった理鶯だが、ついに、上から重々しいため息が降ってきて、「……顔を、上げてください」と先程よりも意気消沈した女の声が、理鶯の鼓膜を僅かに揺らした。

「私にも都合があります。日が頭の真上よりも傾いてから沈む間……それ以上は面倒みきれません」
「十分だ。礼を言う」

 顔を上げた理鶯はふ、口元を緩めるも、女は不本意だと言わんばかりに唇を尖らせたままだった。
 「先程は手荒な真似をしてすまなかった。痛むところはないか」理鶯は拘束していた女の手首を見るも、体を見せまいと彼女にその身を捻られてしまう。明らかな拒絶の意志だったが、理鶯はさして気に留めず、「そういえば、」と言葉を続けた。

「まだ、お互いに名乗っていなかったな。小官は毒島メイソン理鶯という」
「……随分とけったいな名前ですね」
「ああ。よく言われる」

 「好きに呼んでくれていい」そう付け足すも、「呼ぶ機会などありませんのでお気になさらず」と女はぞんざいに言い放った。以降、女が口を開こうとしないので、理鶯は首を傾げて彼女をじっと見つめると、苦渋に顔をゆがめながら、女は「……」とぽつりと吐き捨てた。

か。口によく馴染む。良い名だ」

 ふたたび、理鶯は笑う。しかし、は彼の笑顔を踏みつけるように、そのしかめっ面を逸らしただけだった。