恋でも愛じゃなくてもいい
人が賑わうオブジェの前で、銃兎は腕時計をちらりと確認する。只今の時刻、十一時二十分。仕事でもプライベートでも、十分前行動は基本中の基本だ。約束の時間が刻々と迫る中で、銃兎は普段よりも濃厚に現れる白い息をはあ、と吐き出した。
いつもなら時間を守れない彼女をたしなめるところだが、本来非番の人間にそこまできつく言えない。それに、女は準備に時間がかかるもの。少しくらいなら大目に見てもいい、と鬼の角を落とした銃兎は思っていた。
しかし、普段から遅刻常習犯の彼女のことだ。一体どうなることやら、と肩を竦めていると、こちらに近づいてくる軽快なヒールの音。ふっと顔を上げると、自分の近くでそれはぴたりと止んだ。
「お待たせしました~」
目の前に現れたのはにこやかに微笑む。銃兎を頭の先から靴の先まで見るやいなや、「わーっ。銃兎さんさすがです~。私服もかっこいいですねえ」と公衆の面前で幼稚に拍手をされる。やめろ。そんな銃兎はというと、初めて見るの私服に言葉を失っていた。
「あなたは……普段のイメージと大分違いますね」
ようやく絞り出した声は少々震えた。のコーディネートは肩に羽織っただけのライダースジャケットに、シンプルなトップスとタイトスカートでシックに纏まっている。てっきり、色合いががちゃがちゃと煩い格好をしてくると思えば、まったくの予想外。その口を開かなければ、誰だこいつ、と思わず眼鏡のレンズを拭いていたかもしれない。
褒めても貶してもない銃兎の感想を受けたは、ファーバングル付きのクラッチバッグを前に持ってきて、得意げに笑ってみせた。
「わたしも普段はこんな甘辛コーデしませんよ~。ほら、やっぱりファッションの系統は似せないと本格的じゃないというか。銃兎さんの私服の趣味が分からなかったので想像でしたけど、案外お似合いじゃないですか? わたしたち」
職場で履いてくるよりも高いヒールをコツコツと鳴らして、は銃兎の前でくるりと一周してみせる。横に流された髪から癖のないバニラの香りがふわりと漂った。
「まあ、銃兎さんのタイプとは真反対かもしれませんけど」
「どういう意味です」
「そのまんまですよー。ちょっとおバカで天然チックな女の子とかお淑やかな女の子とか好きそうじゃないですかあ」
勝手に人のこと勘繰るんじゃねえ、と一蹴したかったが、今の銃兎はのギャップに頭がいっぱいでそれどころではない。なんでこんなにも衝撃を受けているのか自分でも不思議だ。とにかく、初めて見るオフの彼女から視線が逸らせない。
こいつってこんなんだったか、と銃兎は普段のを思い出そうとするが、詰所で菓子袋を開けて隙あらばサボるスーツ姿の彼女しか思い浮かばない。しかしまあこれはこれで……と思ったところで、なにを自分は、と銃兎は小刻みに首を振った。
ふと見れば、が下から自分の顔を覗きこんでいる。スモーキーピンクに彩られた唇は薄く開いて、さらりと落ちた髪の間から覗くイヤリングはの耳元で控えみにきらりと光っていた。
「もしかして当たりです?」
「何の話ですか」
銃兎はさっとから顔を逸らす。どうせ、こんな彼女を見るのも今日一日限りだ。じきに慣れるだろう。
さて、銃兎は業務用のスマホの画面を開く。他部署の人間がホシに付けたGPSと連動しているそれは、こんなことをしている間にも自分らよりも着実に距離を離している。急がなければ、と思ったところで、銃兎は不意に思い出したことがあった。
「。念のために私が持っているものと同じ端末を渡しておきます。もしも何かあった時には単独で――」
ホシを……と続けようとした銃兎がの手の上にスマホを置くも、それは重力に従ってするっと地面に落ちてしまう。あ? と銃兎がを見下ろすと、表情を固くしながらスマホを拾う彼女がそこにいた。
「……支給品は大事にしなさい」
「銃兎さんが急に下の名前で呼ぶからじゃないですかー……」
「苗字で呼び合う恋人がどこにいるんです」
「まあ、たしかにそうですけど……」
スマホを拾ったはじっとりとこちらを見上げている。
「銃兎さんって、周りの人からタラシって言われません?」
「私のどこがタラシなんですか。むしろそんなものとは縁遠い人間でしょう」
「おまけに天然記念物~」
おぉこわいこわい、とはバッグの中にスマホを入れる。怖いのは思考の読めないお前だよ、と今回の任務に対して、銃兎は珍しく先の見えない不安を抱えていた。
市内に不法入国している中国人の男女二人組が、薬物密売の容疑にかけられている。その情報を本部より受け取ってから彼らの家を張って二週間近くが経とうとするが、中々尻尾を出さない彼らに本格的な尾行が作戦として加わった。
しかしまあ、それも行く場所で限度がある。彼らは前科持ちらしく、警察に対して警戒心も強い。出かける先は駅前の大通りやデパートなど一般人の集まる場所ばかりで、扮装するにも性別や年齢が馴染まなければ中々に難しいところだった。
そんな中――彼らが急遽帰国するという情報が入った。これはまずい。好きなだけこの国を荒らされて金を稼がれた挙句に元凶を逃がすなど。しかし幸いにも、今までの監視でとある場所に週一で足を運んでいることが分かっている。免税店が多く集まる大きなショッピングパークだ。観光客が多く、土地面積も広いことから、薬物取引の報告も過去に数件挙がっている。
ここでもしや……と勘づいた者も多いはずだ。ここまで時間を引っ張ってきてホシを逃がしてしまったら元も子もない。とにかく、できる限りの体制で尾行に臨みたい――というところで、捜査員の一人がこんなことを呟いた。
「この日、カップルフェアやってるみたいですよ」
それがどうした、と銃兎は冷たい目で彼を見る。曰く、カップルか夫婦を扮装すればワッパをかけられる確率が増すのではないか、と。むしろ男数人で足を踏み入れたら周囲から浮くだろうとのことだ。たしかに、臨機応変でそういった配置を組み、別部署で逮捕に成功したという例もあるにはある。
しかし、うちには夫婦どころかカップルなどいない。となれば擬似で、という話になるが、そんなものは消去法で決まってしまう。独り身かつ長らく恋人がいない人間という時点で、皆の視線が銃兎に集まった。まあ、それは想像していた。しかし肝心の相手役はどうなるんだ、というところで、タイミング良く会議室のドアがガチャリと開いた。
「失礼します~」
本作戦から外れ、別業務を担当しているが入ってきた。すると、ほぼ全員の視線が彼女に集まって、事の経緯を知らない本人は、「そんなに見つめられたら照れるじゃないですかあ」と笑いながら、各テーブルにお茶を置き始めた。
と自分を交互に見る同僚達にいや待て待て、と銃兎は内心焦る。たしかに、組対の紅一点であるしか適役はいないだろう。だが、彼女はその日非番のはずだ。なおかつ作戦のメンバーではないにそんなことをさせられるか、と銃兎は違う切り口から作戦を考え始めた。
しかし案の定、今以上の良い案が頭の上でポンと光るわけもなく。そうこうしているうちに、同僚の一人がに今までの経緯を説明していた。すると、ふっと顔を上げた彼女はは、そこにあるボールペン取って、と言われた時のようなノリでこう言った。
「全然いいですよ~。その日ちょうど暇ですし。お相手は誰ですか?」
――そんなことを経て、本作戦は始動したわけだが。
銃兎は厄介なことがまたさらに厄介に絡まったような気がしてならなかった。決定したあの時は思わずこめかみを押さえたが、なってしまったものは仕方がない。銃兎は自らの役目を全うするまでだ。
と二人で、前方数メートル先のホシを追う。彼らは店を流し見ている中、長蛇の列をつくっている一つの飲食店にぴたりと止まり、その最後尾に並び始めた。昼時にしても混みすぎだろ、と銃兎がげんなりとした表情をしていると、が「うわ、」と声を上げた。
「あそこ、今すごいバズってるお店ですよ。あの二人、中々センスいいですねえ」
「あなたという人は……。本来の目的分かってます?」
「もちろんですよ~。今日一日の買い物が経費で落ちるならたくさん遊ばないと損ですー」
聞いた俺が馬鹿だった。
もちろん、そんな人気店らしい店に入れるわけもなく、銃兎はを連れて仕方なく向かいのカフェに入店する。窓際の席に座って、中から彼らが出てくるのを待つことにした。
お冷が運ばれてくると、がさっそくメニューを開いたので、銃兎はコーヒーとサンドイッチを即決して、すす、とそれを彼女に譲る。じーっ、とメニューとにらめっこして二分弱。顔を上げたは「押していいですか?」と尋ねたので銃兎は何も言わずただ頷いた。
ピピッ、と簡素なアラームが鳴って、やって来た店員に銃兎が注文を伝えると、がそれに続く。彼女はパンケーキとソーセージのプレート、そして紅茶を注文した。
「意外ですね」
「何がですか?」
「てっきり、クリームやフルーツの乗ったこてこてのものを食べるかと思っていました」
「あ~。それも頼んだ方がよかったですかねえ。朝から何も食べてないからもうお腹ぺこぺこで」
「やめなさい。というか、朝食は食べないと満足に活動できませんよ」
「最近、何だか他のインスタントじゃ満足できないんですよねえ。さすがに飽きがきましたかねえ」
「インスタントと同じ土俵と思われているのが心外ですね。何かしら作れるようになっておけば後々役に立ちますよ」
「……と、いうと?」
不意に、の顔色が変わる。捉え方を変えればセクハラだが、そんなことを気にする女じゃないことは知っているし、むしろされているのはいつもこちらの方だ。
何か彼女の中の地雷を踏んだか。次に口を開いた銃兎は、少々言葉を選んだ。
「素材も器量も、別段悪くないでしょう。その人格が良いというもの好きもいるでしょうし」
「いやそうじゃなくて」
「わたし、元々ムショに送られるはずだった人間ですよ」はこそりと言う。
「幸せになろうだなんて、思ってませんから。これっぽっちも。今こうしてシャバに出て警官やってるのも、銃兎さんの命令だからです」
どうやら、彼女の意志を見誤っていたらしい。銃兎は心の揺れを誤魔化すようにコーヒーを啜り、テーブルの上で指を組む。
「……そうですね。今のは失言でした。忘れてください」
「全然いいですよ~」
しばらく嫌な沈黙が落ちたが、テーブルに運ばれた食事にテンションの上がったは普段通りに他愛のないことをぺらぺらと話し始めた
が街中を歩いている様は、どこにいてもいる普通の女。だれも、彼女が薬物密売に片足を突っ込んでいただなんて思わないだろう。彼女の秘密を知るのは、銃兎だけ。がここにいるのは、薬物に容赦のない自分を信頼しているからこそなのだと、今頃知ってしまった。
せっかく父親の鎖を解いたというのに、今度は自分が彼女の枷のようになっていることがひどく気に食わない。かと言って、その鎖を一向に離せずにいる銃兎は、無感情な目でテーブルの木目を映していた。
腹を満たし、ホシが店内から出てきたところで尾行を再開。すれ違う人々はおそろしいくらいに男女二人組が目立っており、たしかにこの扮装は正解だったかもしれない、と銃兎はうっすら思った。
がアパレル店を通り過ぎるたびに、「あーっ。ここ半額セールやってる」「えっ。あの新作めっちゃ可愛い」「銃兎さーん、ちょっとここで待っててもらっていいですか?」などと目移りするものだから、銃兎はホシとは別に、監視しておかなければならない対象が増える。前向きに考えればショッピングをすればより自然なカップルに見えるだろうという意図があるなら百歩譲って、といったところだが、見たところ、は完全に私欲が大半だ。おい、俺の仕事増やすんじゃねえ。
ショッピングを楽しんでいるはかなりご機嫌だ。そして、進行方向の逆から流れてくる人の波に呑まれそうになっている彼女を見かねて、銃兎はその荷物を半ば奪い取る。すると、が何か言いたげな目でこちらを見上げていた。
「……なんですかその目は」
「銃兎さんって本当に今恋人いないんですか?」
「恋人はあなたでしょう」
すると、はわざとらしく溜め息をついて、「署に銃兎さん宛のファンレターが絶えない理由、分かった気がします」などと言っている。軽率な発言は控えてほしい。ただでさてじわじわとターゲットに近づいているというのに、聞こえたらどうする。
しばらく歩くと、目の前にドーム状の大きな建物が見えてきた。なんだあれは、と銃兎が思うよりも早く、「あそこ、アクアリウムの施設なんですよ~」とが説明してくれた。彼女によれば、展示されている水槽の数は地方最多らしく、その幻想的な世界観から連日大盛況とのことだ。まあ自分らには関係ないな、と改めてホシに意識をもっていくと、前方に歩く二人がアクアリウムのチケットを買ったのを見て、銃兎は渋々と一緒にそこに並んだ。
「ここ、最近リニューアルされたらしいですよー」
「やけに詳しいんですね」
「学生の頃に一度来たことあるんです。リニューアル前もなかなか綺麗でした~」
……誰と。
思わず零れそうになった言葉をぐっと喉の奥に押しやって、銃兎は購入したチケットをに渡す。こっちの気も知らない彼女は、「早く行きましょー」と銃兎に先を急かした。
施設の中に入ると全体は薄暗く、水槽があるところだけ天井から降ってくる光に照らされていた。そして、光の中で泳ぐ水生物を見ている時だけ、の顔が暗闇の中で浮かび上がる。銃兎はアクアリウムよりもそんな彼女を横目で流し見ていた。
ふと、ヴーッ、とポケットの中で端末が震える。銃兎がの肩に軽く触れると、我に返った彼女は動いた。
展示会のようなものを想像してほしい。水槽ごとにブースがあって、まるで人が流れるプールのように絶えず流動している。中間地点にもなると、一度水槽の前で立ち止まってしまえば、人の流れに乗るのは困難になっていた。
ホシに合わせて各ブースを移動するが、そういうわけもあって毎回のように上手くいかない。流れに乗り損ねたがよろりと前のめりになったところで、銃兎はその肩を受け止めた。
とんっ、との背中が胸板に当たる。こんな薄暗くて人の多い場所で逃がすのが一番最悪だ。銃兎はショッピングバッグを持ち直して、の右手を取った。
「少し急ぐぞ」
そう囁いて、の片手に指を絡ませる。腕を掴んでもよかったが、どうせこの人だかりでするりと抜けていくのが目に見えたので、この方がきっと合理的だ。
数十分歩いてようやく出口に着くと、から繋いでいた手をぱっと離された。見下げてみると、なぜか顔を火照らせたが、「あっつー……」と両手で首から上を仰いでいる。たしかに、中は暖房が効きすぎていたかもしれないがそれほどだっただろうか、と銃兎は首を捻った。
そして、そのまま土産コーナーへ行ったホシを追う。銃兎が特に欲しくもないグッズを景色としてぼーっと眺める一方で、次々と土産物をカゴに入れる彼ら。もうすでに手一杯のショッピングバッグをぶら下げているというのに、さすがは中国人といったところか。
「銃兎さん見てください」
「なんです」
の声に銃兎が嫌々視線を向けると、雪兎のようなもこもことしたストラップが目の前にぶら下げられる。アクアリウムと無関係そうなそれに銃兎は眉を顰めると、「海兎のキーホルダーです~」と言いながら、はそれをゆらゆらと揺らした。
「聞いたことありませんね」
「そういう貝の名前なんですよー。ご存知ないですか?」
「初耳ですね」
「半分同族なのに?」
「しょっぴくぞ」
「それ、久々に聞きました~。でも、銃兎さんの名前、結構好きですよ。わたし」
博識に向かう方向がずれている。残念そうにキーホルダーを元の場所に戻したは、突如ふらりとどこかへ行ってしまった。ホシの片方がトイレに行ったので、それを追ったのだろう。ようやく仕事らしいことをしてくれる彼女の背中を見つめ、ふと、海兎のキーホルダーにそっと触れた。
――刹那、パァン、と乾いた音がした。職業柄、何度も聞き覚えのあるそれは、発砲音に嫌なくらい近いもの。銃兎が振り返った先……そこは、が消えた方向からだった。
口の中の水分がなくなる。反射的に追おうとした足。しかしその横目で、混乱する人混みに紛れて男が逃げる様があった。見えていた。見えていたのに、意識は足の方に行き、さらには血溜まりの中で彼女まで頭の中にいた。
容赦ない怒声が飛び交う。我に返ると、私服の男達がホシを抑えている。暴れ狂う男の姿を見て初めて、銃兎は自分の足が鉛のように重たくなって、そこから一歩も動けていないことに気づいた。
「いやあ。骨折り損のくたびれもうけでしたねえ」
本当にその通りだ、と言う気にもなれなかった。
男を取り押さえた同業達に話を聞けば、どうやら別部署の捜査とブッキングしていたらしい。対象も丸かぶりだ。トイレに行ったの他にも女Gメンがホシの後をつけており、彼女が取引相手に密閉されたビニール袋を差し出そうとしたところでGメンが声をかけ、気が動転したらしいホシが持っていた拳銃で発砲したとのこと。無駄に罪を重ねたとんだ大馬鹿者である。
幸い、撃たれた弾は天井に当たり怪我人はいなかった。しかし、このままただでは帰れない、と銃兎はブッキングした部署の人間と情報の共有、は取引相手に事情聴取を行った。
そして、銃兎は目の前で手錠をかけられたホシ二つが俯いて連行されているさまを見送る。パトカーの赤ランプが遠くなって見えなくなる頃には、すでに日は沈み始めていた。
「私は一度署の方に戻りますが、あなたはこのまま直帰して構いませんよ」
「そうします~。……あ、」
思い出したように声を上げたと思ったら、はバッグを漁って、一つの袋を銃兎に差し出す。首を傾げながら中身を出すと、そこに入っていたのは手のひらサイズのカメのガラス細工だった。
「……なんですか。これは」
「可愛くないですか?」
「質問を質問で返すなっていつも言ってんだろ」
「荷物持ってもらったささやかなお礼です~」
ほくほくとした顔で買った荷物をぶら下げている。これらのせいで、他部署の人間に非番中の恋人同士だと思われたことに上手く否定できなかった。
しかしまあ、こういう業務もこれっきりだ。二度とやるものか。だから、最後の記念……というわけでもないが。
「……思考が同じということが、少し癪ですが」
「はい?」
銃兎はポケットの中身から同様の袋を出して、彼女の手のひらの上に落とした。
「非番なのにも関わらず、一日付き合わせてしまいましたからね。報酬とでも思ってください」
目をぱちくりとさせた。彼女はおそるおそる袋を開け、そこから出てきたのは先ほどの海兎。目を丸くしているに、微妙に苦い沈黙が嫌になった銃兎が、しびれを切らして手を前に差し出した。
「いらなければ捨てます」
「だめです~」
ささっとバッグの中に仕舞う。いつものように剽軽に笑うかと思えば、意外にも唇がぎゅっと結ばれ、頬は少し盛り上がっていた。
「銃兎さんだと思って大事にしますねー」
「いちいち重いんですよあなたは……」
今回の一件で、銃兎は理解せざるを得なかった。
自身をどうするつもりはないが、手元に置いて、自分の目の届くところにいてほしいと思う。勝手に離れていったら目で追ってしまうし、嫌な想像が頭をよぎったら、今回のように本来の目的も忘れて足がそちらへ向いてしまう。
「銃兎さん?」
しかし……それだけは、駄目だ。急に現れた得体の知れない感情と長年夢見る自身の理想を天秤にかけるなど、銃兎の中であってはならないことだった。
「この後、一度署に戻りますよねー?」
「……そうですね」
交わることのない互い線。銃兎が歩くと、は当たり前のように自分より一歩後を追う。あの日から、必要でない限り、は自分の隣に並ばずにこうして距離を置いてついてきている。そのことに気づいているのか、そしてわざとなのか。対等でいたいと思うのは、銃兎だけの我儘なのか。
目の届くところにあるうちは、彼女の盾になりたいと思う。あくまで、有能な部下を手放したくないという理由で。かと言って、今日のように無能な警官にはなりたくない。彼女の存在で業務に支障をきたすなど、あってはならないことだ。
……これは、早急に手を打つ必要がある。自身から溢れる感情を心底面倒だと思って、銃兎は後ろから控えめに鳴るの足音を聞いていた。
