トライアングル・ストーム
目の前に広がるのは大きな芝生広場。青々としたみどりが眩しく、広場の輪郭をなぞるように配置された白テントを行き来しながら、はダンボールをせかせかと運んでいた。
「先生。これで全部だったよ」
「ありがとうちゃん。ごめんねえ、施設の行事なのにわざわざ手伝ってもらっちゃって」
「ううん」は首を振り、運んだダンボールを設置された机の上に置く。もう五月半ばとはいえ、朝から休む間もなく動いているものだから、の額にはじんわりと汗が滲んでいた。
数時間後にここで開催されるのは、地域のチャリティーイベント。公園と隣接している広場を貸し切って、各々の企業や団体が出店を運営する。毎年かなりの利益があり、も施設にいた頃は売り子としてよく参加していた。
ふと、はぐるりと周りを見渡す。もうすでにいくつものテントが建てられていて、飲食系、フリマ系、ゲーム系など……出店は様々だ。ここ一帯は児童養護施設が出す店が密集しており、売り子はもちろん施設の子供達だが、中には卒業生も混じっており、老若男女関係なく和気藹々と交流を深めていた。
例年より増えているテントと人の数に、は呟いた。
「……昔よりも、人増えたね」
「規模が大きくなっただけなのよ。うち以外にも参加する施設が増えて、都内で開催するようになってからは収益もいいの。ちゃんがいた頃よも施設にいる子は減ってるから、ね」
「そんな悲しい顔しないで頂戴な」昔よりもずいぶん皺の増えた院長はくしゃりと笑う。今でも、彼女はの真意を丁寧に汲み取ってくれる数少ない大人だ。はそんな院長を一瞥して、準備に励む子供たちを見る。親がいないから不幸というわけではない。しかし、やはりどんな形でも子供は親がいてこそ、というものだろう。子供が減った、と言った院長の笑顔も、きっとそういうことだ。
さて、と。頭をカチッと切り替えて、は続けて残りの備品を持ってこようと、駐車場に止まっているトラックに向かった。業者の人が荷物を運んでいる中に混じって、一番手前にあった荷物をぐっと引こうとするが、かなり重たい。
台車を持ってきた方が早いのでは、とが振り返った時だった。横から赤い何かがずいっと割り込んできて、今まさに自分が手にかけていたダンボールをひょいっと持ち上げた。
「俺が持っていきますよ」
声の主と目が合う。華々しいレッドとグリーンの瞳に映り込む自分を見て、はわ、と目を見開く。がそこを退くと、「女の人がこんな重いもん持ったら駄目っスよ」と青年に苦笑されてしまった。
「でも、運ぶ場所が複雑だから――」
「じゃあ、そこまで案内お願いしていいっスか?」
青年の言葉に、は小さく頷いた。さすがに手ぶらだと申し訳がない気がして、隅っこに置き去りにされていたタコ足の延長コードを手に持った。
は隣に並ぶ青年をちらりと見上げる。がたいが良く、背も高い。成人……にしては、顔つきは若干幼いような気もした。そして、極めつけは彼の目の色。オッドアイ、とでも言おうか。カラコンにしては自然すぎるそれに、初めて見たなあ、とが関心を示していると、こちらを見下げた彼と再び目が合った。
「お姉さんはボランティアでここに?」
「うん。昔、ヨコハマの施設にいたから。君は……」
「俺は、このイベントに参加してる施設から依頼があったんで、その手伝いです」
「依頼?」
「うち、何でも屋やってるんですよ」そう言って、オッドアイの物珍しさにじっと見つめていた自分に嫌な顔せず、にかっと笑った青年。なんというか、ヒーローものの赤レンジャーそのものだ。明るそうな……いや、明るい子だな、と思いつつ、は配置図を見ながら、広場の端にあるテントの裏に彼を案内した。
そういえば、自分がどこの出店を手伝うかまだ把握してない。そう思って、は続けて地図を指でなぞるが、「ここでいいっスかね」と青年の声がしたので、それも途中で終わってしまった。
「うん。ありが――」
不意に、ガッシャーンッ! と大きな物音が聞こえる。ガラスものが割れたような音がして、が視線を巡るよりも先に、ダンボールをその場に置いた青年が駆け出した。
「どうしたんだ二郎。怪我ねえか?」
「ぁ、え、と、兄ちゃ……」
が青年の後を追うと、膝を着いた男の子がいた。二郎、というらしい。今度は青だ。散らばっているのは、がさっき運んだテントの照明。電球が割れているものも何個かあり、ひとまずは無傷の照明をテーブルの上に戻し、粉々に割れているものは近くにあったガムテープで破片をぺたぺたとくっつけて集めた。
不意に、「一郎くーん!」と声がする。赤色の青年が声の方を一瞬振り返るが、再び二郎の元へとくるりと向いた。
「ど、どうしよう兄ちゃん……」
「その電球、うちの施設のものだけど、まだ予備があったから大丈夫」
「だってよ。良かったな二郎。あとで院長さんに謝っとけよ」
「あッ。う、うんっ」
「あと、ついでで悪ぃけど、この人のこと手伝ってやってくれ。まだトラックん中に何個か荷物あったからよ」
すると、「今行きまーす!!」と青年はさっきの声のした方へと走っていく。そうか、彼は一郎というのか。がいち、に……二郎の方を見ると、彼はよろり、と立ち上がっている最中だった。
が二郎を立ち上がるのを見届けていると、彼とばちん、と目が合い、はわ、と再び口をポカンと開く。黄色と緑の瞳。一郎のものよりもまろい雰囲気を醸し出す色合いで、またしても彼の瞳をじっと見ていると、すぐに目を逸らされてしまった。
いけない。今は目の前の仕事をしなければ。がさっきのトラックまで戻ろうとして歩き出すと、じゃり、じゃり、と自分の後ろを追う足音が聞こえる。振り返ると、びく、と体を震わせた二郎がぴたりと立ち止まる。だるまさんがころんだ? と首を傾げつつ、は彼に声をかけた。
「さっきの人とは兄弟?」
「えっ!? あ、は、はい。そう、っすけど……」
「そっか。似てるね。雰囲気とか」
そう言うと、二郎はぽけ、とした顔をしたがすぐにふにゃりと笑って「へへ、」と頬をかいた。よほど兄のことが好きらしい。が再び歩き出すと、二郎は少し走っての隣……よりも半歩ほど下がったところで歩き始めた。まるで、警戒心を解いた動物のようだ。犬とか、猫とか。
さて、二人揃って駐車場に着くと、さっきまではいなかった人達がトラックの前で屯していた。ヘアスタイルや服装ががひどく個性的で、これが噂に聞くDQNというやつだろうか。ただ、ここでじっとしていても仕事が進まないので、は迷うことなく彼らの前まですたすたと歩いていく。
「そこ、退いてくれますか」
しかし、彼らはを一瞥して、すぐにまた談笑を始めてしまう。こんな風に無視されたこと昔もあったな、とぼんやり思っていると、自分の後ろに控えていた二郎がずいっと前に出た。
「おいテメェら……そこ退けっつってんのが聞こえなかったのかよ」
冷静かつ凄んだ声に、はおお、と心の中で歓声を上げる。さっきまでぼそぼそした声だったのに。が小さく拍手をしていると、彼らは顔色をさっと青くさせて、そそくさとトラックの前から姿を消した。
二郎はふん、と鼻を鳴らしてトラックの荷を下ろす。他の人が下ろしてくれたのか、一郎と一緒に運び出した時よりも荷物は減っていて、二郎が手に持っているもので最後だった。手持ち無沙汰になってしまったはさてどうしようかと思案する。
とりあえずは……そうだ。
「ありがとう。手伝ってくれて」
「いやそんな、大したことじゃねーし……。つか、さっきはごめん。施設のもん、割っちゃって」
「大丈夫。訳は後で院長先生に言っておくから」
ん、と嬉しそうに頷いた二郎。荷物を持って歩き出した彼の後を追おうとすると、今度は、うわあぁぁあん、という子どもの泣き声が。
今日はなにかとイベントが多い日だ。そう思って、は声のする方へと視線をむける。すると、そこには一人の男の子がえんえんと泣きじゃくっていた。はゆっくりと歩み寄り、彼の目の前にしゃがむ。「どうしたの」と聞けば、どうやら兄とはぐれてしまったようだった。トラックに見とれていて、気がついたらぽつんと一人きりだったとのこと。スーパーなどでよく見かける迷子だ。
「俺、これ運んでおくからさ。あんたはその子の兄ちゃん探してやってよ」
傍に来た二郎がそう提案するので、は頷いて男の子の手を引く。えぐえぐと泣いている彼になにかあげたいところだが、あいにく、今のはお菓子も何も持っていない。
こういう時に愛想とか持ち合わせていたり、上手い立ち回りができたらいいと思う。まだ手を振り払われないだけいいか、と思いながら、とりあえずは広場をぐるりと一周してみる。
そして、意外にも転機は早かった。不意に、「にーちゃん!」と叫んだ男の子がの手をぱっと離し、どこかに突進するがごとく走り出す。彼の行く先には小学生高学年くらいの男の子がいて、泣きそうな顔で彼を見つめている。そして、その隣にはさらに大きな少年が立っていた。
三人の元へ歩み寄る。男の子が少年に礼を言って、迷子だった弟の手を引いて歩き出す。最後に彼がに手を振ったので、も同じくひらりと振り返した。
そして、二人きりになったと少年。すると、彼がこちらを見てにこりと微笑んだ。なんとなく、それは業務的なもののように見えて、は彼との間に見えない境界を感じた。
「ありがとうございました。さっきの男の子のこと、ずっと探してたんですよ」
よく見れば、彼の瞳も片方ずつで違っている。青と緑……オッドアイとはそんなに珍しい個性ではないのだろうか、と思うほど、今日はなんだか変わったものをたくさん見る一日だ。
大したことはしてない、とが首を横に振ると、ちょうど広場にある時計がの視界に入る。「もうそろそろ、召集がかかるかも」と言うと、「そうですね」と彼が相槌を打った。
「君は売り子?」
「いえ、僕は仕事です。兄達と一緒にたませんの出店を手伝うことになっています」
すると、少年は自分の持っている同じ資料を広げて、配置を確認する。少し丈のある彼のをちら、と覗き見すると、それを見かねた少年はが見やすいようにか、資料をほんの少し下げてくれた。
「あなたはどこなんですか」
「何をやるかは、まだ知らなくて。とりあえず、東側のテントで山田さんっていう人達と一緒に――」
「三郎~っ!! そろそろカンノンザカさんって人と合流――」
あ、と先に声を上げたのは誰だったか。不意に聞こえてきた青年の声。と少年もとい三郎、そして目の前に現れた赤と青……一郎と二郎がそれぞれお互いを見比べて、妙な空気が辺りに流れた。
そんな中で、はいち、に、さん、と数える。彼らがオッドアイ三兄弟だと分かったのは、遅ばせながら三郎の口から「いち兄!」という言葉が飛び出した時だった。
「プレーンいち! チーズいちィ!」
一郎の威勢のいい声がテントに響く。
イベントが始まってから一時間と経たないが、出店は大盛況で休む暇もなかった。施設の何人かの子供達は出来上がったたませんを渡す係で、はたませんの軸となる卵を焼いて上に乗せる。そして、それぞれのトッピングに合わせて二郎がソースをかけるなりなんなりして最後の仕上げをするという流れだ。
そんな中、三郎が電卓も使わずにレジ役を担っているのを見て、鉄板の上に卵を落としたは「三郎君、計算早いね」と零した。
「いえ。これくらい、いち兄に比べたらどうってことないです」
「私は、計算苦手だったからすごいと思うよ」
熱々の鉄板の上に卵をいくつか落としながら、ヘラで黄味を潰して形を整えていく。がそう言っても、やはり三郎は機械的ににこ、と微笑むだけで、それ以上会話は続かなかった。
「おい二郎。それ、トッピング違うぞ。さっきマヨなしっつったろ」
「えっ。あ、ほんとだ……。ごめんよ兄ちゃん……」
「おう。ちょうど次のお客さんがそれ注文したから同時に出す。次は気ぃつけろよ」
注文を捌いている一郎が、裏でわたわたとしている二郎にそんな声をかける。しかしまあ、一番忙しない役回りなのが二郎だと思う。注文によってトッピングを変えなければならないし、一郎の声を聞き逃したら流れが即止まってしまうのだから。
そして、一郎の注意を受けてからの二郎の作業スピードが明らかに落ちている。どうやら落ち込んでいるようだ。今のところミスこそないが、卵をそっちのけでどうしてもそちらに視線がちらちらといってしまう。
卵を焼いている片手間にトッピングを手伝おうか。が二郎にそう声をかけようとしたら、その隣から不機嫌な声がぼそりと聞こえてきた。
「二郎の分際で、いち兄の足引っ張るなよ……。ただでさえ日中で忙しいんだから……」
「おい、聞こえてんぞ三郎……。お前に言われなくても分かってんだよ。口動かす暇あるなら大人しく人間電卓にでもなってろ」
「はあ~? 本来は歳上のお前がやる仕事を、歳下の、僕が、やってやってるんだよ。お前が高校生のくせして暗算もできない低脳だからな。少しは感謝の気持ち持ったらどうなんだよ」
「兄ちゃんがテキゴウテキシャっつってだだろうが! 兄ちゃんの指示に文句あんのかよ三郎ォ!」
「適材適所も言えない奴にいち兄のアシスタントなんて出来るわけないよなあ~っ!?」
これが一触即発。これぞ兄弟喧嘩。おお、とが関心して見ている中、「テメェらこんなとこで喧嘩してんじゃねえ!」と一郎の怒声が飛んでくる。静かになった二人。も思わず体をこわばらせて、固まり始めた卵をひっくり返すと、二つに割ったえびせんの上に乗せた。
「すみませんね観音坂さん。こいつら、普段は仲良いんですけど」
「ううん。楽しそうでいいね」
「そう言ってもらえると嬉しいっス。俺の自慢の弟達なんで」
そんな他愛もない話をしていると、集団客がぞろぞろとやってきた。は手元にある卵を次々に割ってはヘラで潰していく。片手で割れるように練習しておけばよかったかな、などと思いつつ、三兄弟との共同戦線の時間は刻々と過ぎていった。
あっという間に夕暮れだ。あんなに賑わっていた広場もだいぶ人が捌け、並んでいたテントも次々に畳まれている。本日大活躍だった鉄板を水道で洗い終えたは、ふとスマホを見る。着信が何件か入っていて、すべてが“独歩くん”という表示。リダイヤルを押すと、ワンコールもしないうちに独歩と繋がった。
《あ……もしもし。そっちは終わったか?》
「お疲れさまです独歩くん。はい。ちょうど終わったので、今から帰ります」
《分かった。駅まで迎えに行くから待ってて。電車の時間、またLINEで教えてくれ》
一つ礼を言って、通話を切る。まだ暗くないのに悪いなあ、と思いながら電車の時間を検索していると、「さん」と背後から声をかけられた。
「一郎君」
「これ、さんとこの院長さんが」
貰ったのはお菓子の詰め合わせ。昔ながらの小さな和菓子が山盛り詰められている。の両腕で抱きしめられる大きさに圧倒されつつも、独歩くんと一緒に食べよう、と小さく思った。
会って半日も経たない彼らだが、すでにお互いに名前呼びが定着していた。作業スピードを上げるために呼び方がカンノンザカさんからカンノンさんと次々に変わっていき、カンさんとなったところで三郎が「母さん」と言い間違え、が「でいい」と言ったゆえの結果である。三郎には顔を真っ赤にして謝られたが、彼らを生んだ母親に対して悪いな、とだけは思った。
そしてふと、はお菓子の袋に一枚の名刺がテープで貼り付けられていたのを発見する。ぺり、と剥がして書かれた文字を辿りながら、「よろずや……やまだ?」と呟いた。
「さっきも言ったんスけど、うち、ブクロで何でも屋やってるんです。もし何かあったら連絡ください。今日のお礼にサービスしとくんで」
「萬に広く……炊事洗濯掃除、ペット探しから水道管の工事まで、なんでもやりますよ」と、一つ専門業者の仕事がさりげなく混じっていることにあれ? と不思議に思って首を捻るが、一郎の斜め後ろに控えている二郎と三郎の目が本気だったので、冗談ではなさそうだった。
三人とも未成年だって言っていたのに自営業なんてすごいなあ、と思いつつ、「ありがとう」とは礼を言って、名刺はジーパンのポケットの中に入れた。
「もしよかったら、近くまで送っていきますけど。夕方とはいえ女の人出歩かせるのは心配なんで」
「ううん。平気。夫が迎えに来てくれるみたいだから」
「ひッ、人妻なんだ……」
「なに興奮してんだよ童貞」
「さっ、三郎テメッ……! 女の前でんなこと言ってんじゃねえぞ……!!」
「だから人様の前で喧嘩はやめろって。……んじゃあ、さん。道中気をつけてくださいね。俺達はこれで失礼します」
「ほら帰るぞー」と振り返った二人の肩を組んだ一郎。並んだ青、赤、黄にはうーん、と連想する何かを思い浮かべて、あ、と声を上げたと同時にぽん、と手を叩いた。
「信号機」
順番は違うけど、とも付け足す。そして、兄弟っていいなあ、と思う。もしも子供産む時は二人か三人がいい、なんて言うと、独歩が働きすぎて過労死になるかもしれないので、今はまだ心の中に留めておくことにした。
