愛しいピースをみつける旅
幸せを見つけるというのも、四つ葉のクローバー探しのように困難かと思えば、案外そんなこともなかった。
観音坂家幸せ生活計画(これだけ聞くと何かの宗教のようだ)として、お互いにやってほしいことや嫌なことなどを決めた(は三日三晩考えた結果、朝のごみ捨てを俺に頼んだ。正直物足りないレベルだが何もしなくていいと言われるよりかはマシなので、俺は黙って頷いておいた)。そして、俺がに言ったのは、せめて俺が休みの日くらいは遅起きしてほしいというものだった。本当は毎日寝ていてほしいくらいなのだが、はそれはいけないと首を振るので妥協案のような形になってしまったのだが。定期的に通院しているとはいえ、体調の方はやはり心配だし、無理をしてほしくないというのは俺の切なる願いだった。
そんなことを二人の間で定めた、次の土曜日。アラームをセットせずに十時に起床した俺。今日は公休である。眠りはまだまだ浅いが、やはり休みというのはいい。家にいられるだけでこんなにも心が穏やかだ。
リビングで適当にパンを焼いて、に教えてもらったやり方でコーヒーを煎れる。一人の朝というのもなかなか新鮮だ。こんな時間にテレビを付けてもニュースなどはやっていないだろうし、たまにはいいか、と思った俺は無音の朝を過ごした。
あとは、が普段している家事――たとえば、洗濯機を回すとか、そういう気が回ればいいのだが、と一緒に暮らす以前も一二三にやらせっぱなしだったので、洗濯機の使い方がろくに分からない。俺の馬鹿。
だがしかし、このままぐうたら過ごしていても、が今なんのために寝ているのか分かったものじゃない。よし、と意気込んだ俺は脱衣所へと向かった。
「これでいい、よな……」
溜まった洗濯物を片っ端から洗濯機の中にぶちこんで、洗剤と柔軟剤を入れる(まずどっちが洗剤で柔軟剤なのか、どこに何を入れるのかで十五分は悩んだ)。なんだかんだでスタートボタンを押すところまでいって、ゴゥン、と動き出した洗濯機を見てとりあえずほっとひと息。全自動最高か。
しかし、そう安心したのも束の間。ピーッ、ピーッ、とうるさいくらいのエラーコールが流れてしまう。え、なんで? 俺は焦って洗濯機の中をすべて出して、何か違うのかと考えてもなにも分からない。ただただ鳴り止まないエラー音に冷えた汗を浮かべるだけだった。
「どっぽくん……?」
ぎくりと肩が震える。振り向けば、起きたてほやほやのが目をこすってそこに立っていた。やってしまった。を起こしてしまった。俺はあわあわと意味もない手振りしながら、溢れている洗濯物を背に隠すようにして立ち上がった。
「ごっ、ごめん……っ! 洗濯機、回そうと思って……お、起こした、よな……?」
は俺の声を聞いているのかいないのか……俺の後ろにある洗濯機をじっと見つめるばかりだ。そして、はよたよたと歩いて、ゆっくりとした手つきで俺が出した洗濯物を分別し始める。
「色ものは色もの同士で……他のと分けた方がいいです……」
「えっ……。あ、そ、そうなのか……?」
「下着とか肌着は……一緒に……いれて、私のはこのネットに入れてくれると、うれしい……」
ぴろんぴろん、と洗濯機の電源が落ちて、再度電源が入る音がする。洗剤と柔軟剤が入っていることを確認すると、はうん、と背伸びをして、洗濯機の奥にある蛇口を捻った。
「エラーがでたのは、お水が出ないからですね……」と言って、は蛇口をキュッキュッと回している。あ……そこの蛇口回さないと水出ないのか……。
「ここを右回しに開けてもらって、あとは――」
「わ、分かった……っ! もう大丈夫だからは寝ててくれっ」
「でも……もう十時……」
そんな眠そうな声で言われても、いやいやまだ寝ててほしいと思う。しかも俺が起こしてしまったのだから、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「それに、」とはあくびをしながらこう言った。
「独歩くんお休みなのに……一緒にいるのに、ねるのは、もったいないです……」
うぐ、と声が喉に詰まる。たしかにその気持ちは分からなくもないが、どちらにしろ仕事を持ち帰ってきているので、俺はそれをやらなければならない。とリビングでまったり過ごすのは当分先になりそうだ。
俺がその旨をに伝えると、「なら……寝室で仕事してください」なんて言うものだから、いやいや、と俺は首を横に振る。
「キーボードの音とか煩いだろうし、なんなら一人でぶつぶつ言ってるだろうし……。とにかく、ろくに眠れないと思うぞ」
「それは……どんな音源にも勝るリラクゼーションBGMですね……」
「いやさすがにそれはないと思うけど……」
とにかく、が断固として眠れるというものだから、結局俺が折れてしまった。弱すぎるだろ俺。知ってたけど。俺はリビングに置いていた会社用の鞄を渋々持ってきて、の歩幅に合わせて寝室に向かった。
なんとかを寝室に誘導して、ベッドに身を預けてもらうことに成功した。俺が小さなテーブルでパソコンを広げると、もうすでにはすう、と寝息を立てていた。
あ、これめちゃくちゃ捗るかもしれない。俺は冷静にそう悟った。パソコンの起動音に紛れての呼吸音がきちんと聞こえてくるし、布擦れの音すら可愛く思えてくる。会社にが欲しい。退勤するまで俺の横に座っていてほしい。ああでも、ハゲ課長にブツクサ言われるのは嫌だな。セクハラとかされたらを連れてきた自分自身を呪う。
まあ、色々言ってしまったが、そんな現実的なことはさすがの俺も実行しない。と思う。……たぶん。
が起きたのは、昼の三時過ぎだった。
「は、すごいな」
俺が干した洗濯物を取り込んでいるの背中に向かって、俺は呟いた。仕事はまだ終わっていないが、今は椅子に座って、働いているをぼーっと見つめながら休憩中である。
俺の言葉にいまいち要領を得ていないは不思議そうな顔をしている。そして、洗濯カゴをよいしょと持ち上げて家の中に入り、ベランダの扉を閉めた。
「こんな時間まで眠れることが、ですか。私もかなり反省しています。おかげで頭も痛くて、せっかくの独歩くんとの休日もぱーです。今度からちゃんとアラームをかけて寝ることにします」
「い、いやそうじゃなくて。そんな体質なのに、いつも俺の起きる時間に合わせて起きてくれるだろ」
聞けば、は一人暮らししていた頃は、なんの用事もなかったらこの時間まで布団の中でごろごろと過ごしていたらしい。いつもしゃんとしているがそんな生活をしていたなんて……となかなかの衝撃だった。にしては珍しく溜息をついているが、俺は別にそれくらいなんでもないと思っている。むしろ、普段とのギャップがあってかわ――
「私が早く起きるのは、独歩くんにいってらっしゃいって、言いたいからです」
ほんとうに……究極にかわいいのだ。俺の妻は。
涼しい顔でとんでもないことを言ったに、俺は両手で顔を抑えた。だめだ、今ぜったい顔の筋肉という筋肉がしんでいる。しかし、そんな俺の手をどけて、と言わんばかりにさすさすと撫でるに、俺は指の間からおそるおそる顔を覗かせた。
俺の親指以外の指をきゅっと握りこむ形で、の手が俺の指をそっと包む。にぎにぎと強弱を加えながら、座っている俺を見下げる形ではこう言った。
「ところで、今日は焼きそばか豚丼にしようかと思うんですが、今の独歩くんはどっちの気分ですか」
「どちらかというとやきそばです……」
「じゃあ、お野菜いっぱい入れますね」
俺の手をふっと離したは、洗濯カゴを持ってリビングの一帯にそれを豪快にひっくり返した。タオルからてきぱきと畳み始めるを見ながら、俺はとろけたため息を吐く。できればずっとこうしてを視界に映していたいが、溜まったタスクが俺の背中をしきりに叩いている。正直煩わしい。
こうなったら、すぐに仕事終わらせてご飯作るのを手伝おう。それが無理でも、が呼びに来るまでにこうしてテーブルの前に座っていよう。休みの日くらいは出来たての夕食にありつきたいのだ。よし、と俺は再び心の中で意気込み、畳み終わった洗濯物に埋もれつつあるを一瞥して、本日の仕事場である寝室へと足を伸ばしたのだった。
